tag:blogger.com,1999:blog-60573434386607297982024-03-13T09:28:11.914+09:00Not Necessarily Platinum〜極北の文化や自然、ライフワークのプラチナプリント制作ノート〜八木清 YAGI Kiyoshihttp://www.blogger.com/profile/08893463329390224359noreply@blogger.comBlogger81125tag:blogger.com,1999:blog-6057343438660729798.post-90667422039393629112019-05-20T08:30:00.000+09:002019-05-20T12:42:18.793+09:00PGI 40th Anniversary Exhibition<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjihyphenhyphenkilGtXY5k6WWJNxzWwYIAxzNGIX1f-Lg0pFExeypbWPXKGBzCPVuq3BtZ8qtgwSpyZLDdENBlg19yX0IaQwld320pawBMEJGAFk1A23ued28KHhS841pqkrhxCQob0VBBMz2FHutnE/s1600/IMG_2887.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1200" data-original-width="1600" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjihyphenhyphenkilGtXY5k6WWJNxzWwYIAxzNGIX1f-Lg0pFExeypbWPXKGBzCPVuq3BtZ8qtgwSpyZLDdENBlg19yX0IaQwld320pawBMEJGAFk1A23ued28KHhS841pqkrhxCQob0VBBMz2FHutnE/s320/IMG_2887.JPG" width="320" /></a></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
1979年から最近まで PGI で展示してきたさまざまな作家の色々なプリントが展示されてあり楽しめます。5月24日まで。</div>
八木清 YAGI Kiyoshihttp://www.blogger.com/profile/08893463329390224359noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6057343438660729798.post-29060061368913274852018-03-15T19:35:00.000+09:002018-03-15T20:17:23.401+09:00忘れられてなどいない本たちForgotten Books?? エスキモーや極地探検にかんした古い文献をネット上で探していたら、こんな<a href="https://www.forgottenbooks.com/en" target="_blank">サイト</a>を見つけた。ここから出版された印刷版は amazon.com などで注文できるが、直接サイトで登録すればなんと1ヶ月たった $8.99 でPDF版をダウンロードし放題だそうだ。ここには 945,609冊分にもおよぶ様々な分野の文献がある(全部読むとしたら、人生何回分が必要だろうか?)。<br />
<br />
「歴史とは何年に、誰が、何をしたか、ということを学ぶのではなく、そのとき人々が何を感じ、何を思ったのかを考えることだ」と思想家の西尾幹二氏は言った。人間社会や文化において、まだまだ多くの謎や未知なる領域が残されていた時代に出版された本を読んでいると、まさに氏の言わんとすることが響いてくる。<br />
<div>
<div>
<br /></div>
<div>
私が読みたいと思う大抵の極地関連の本は、図書館で借りるか、ネット上で(多くの場合高額な)古書を買うかしかなかったが、このサイトで見つかれば格安で読むことができる。遅まきながらこのサイトの発見には欣喜雀躍の思いがした。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
<br /></div>
<div>
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhWNoVd5xDWQBovXTmL3T977lhAvPrYC7_y9xNNuO23L40J07eF5KpHwg4LDZ78olqZNWELpVO9uiPEiKXH6VYfxY8LTcj5TTrJ7wXV4W8Q8wbPaZsE2y5g7oSxmf16x0HjM9oiVqHPKY_f/s1600/Screen+Shot+2018-03-15+at+19.30.16.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="406" data-original-width="287" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhWNoVd5xDWQBovXTmL3T977lhAvPrYC7_y9xNNuO23L40J07eF5KpHwg4LDZ78olqZNWELpVO9uiPEiKXH6VYfxY8LTcj5TTrJ7wXV4W8Q8wbPaZsE2y5g7oSxmf16x0HjM9oiVqHPKY_f/s320/Screen+Shot+2018-03-15+at+19.30.16.png" width="226" /></a></div>
<br />
<div>
<br /></div>
<div>
<br /></div>
</div>
八木清 YAGI Kiyoshihttp://www.blogger.com/profile/08893463329390224359noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6057343438660729798.post-53173180647782829962017-07-11T10:50:00.001+09:002017-07-12T00:26:31.682+09:00Birds in the Hand 2017.7.13 (Thu) - 9.1 (Fri) at PGI in Tokyo<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
Birds in the Hand 2017.7.13 (Thu) - 9.1 (Fri) at PGI in Tokyo</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgB4pr64F8JGcRskXkS2MlcRRVek5IYruSD_aFv-xqXIodJWN1TTDn8THn-iYHjt_o25R-Ps3X-dRzoo9UKIGKtvOnQ33i-JIAUHFo0LWS7zkBn3b2QkZ54YjXGhzeOc4p_ZW2dA4lgKnxs/s1600/IMG_1810.JPG.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1200" data-original-width="1600" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgB4pr64F8JGcRskXkS2MlcRRVek5IYruSD_aFv-xqXIodJWN1TTDn8THn-iYHjt_o25R-Ps3X-dRzoo9UKIGKtvOnQ33i-JIAUHFo0LWS7zkBn3b2QkZ54YjXGhzeOc4p_ZW2dA4lgKnxs/s320/IMG_1810.JPG.JPG" width="320" /></a></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<i style="color: #222222; font-family: sans-serif; font-size: 15.104000091552734px;"><span lang="la" xml:lang="la"><br /></span></i></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<span style="color: #222222; font-family: sans-serif; font-size: 15.104000091552734px;"><span lang="la" xml:lang="la"><i>Grus canadensis: sandhill crane. </i>カナダヅル</span></span></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<span style="color: #222222; font-family: sans-serif; font-size: 15.104000091552734px;"><br /></span></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<span style="color: #222222; font-family: sans-serif; font-size: 15.104000091552734px;">PGI にて7月13日から9月1日まで。</span></div>
八木清 YAGI Kiyoshihttp://www.blogger.com/profile/08893463329390224359noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6057343438660729798.post-22133484023042277102017-01-17T03:49:00.000+09:002018-09-03T13:15:26.672+09:00「クマの子殺し」から思ったこと・・先日、あるテレビ番組で日本のツキノワグマを追っている動物カメラマンがとらえた貴重な生態の映像が紹介されていた。子グマを育てるメスのクマの姿が特に印象的だったが、そのなかで発情期に入ったオスクマによる子殺しの場面があった。ナレーションでは「ツキノワグマでは初めて確認された行動」とあり、今まで未確認だったことが意外で驚いた。何故ならば、ヒグマやシロクマではすでに知られた行動であったからだ。だからツキノワグマでも多分あり得る生態と思っていたのだが、やはりその場面を確認するには相当な努力が必要なのだろう。山岳地帯の多い日本の地形を考えれば、その観察の困難さもうかがい知れる。<br />
<br />
話が少しズレるが、そこでふと思い出したのが、何年も前に日本のある報道写真雑誌で、一頭のシロクマが若い個体のシロクマの頭部を口にくわえたかなりエグくて衝撃的なカラー写真が掲載されていたことだった。海外のカメラマンがとらえた写真だったが、なんとその写真のキャプションの内容は「温暖化現象により氷が減少してアザラシなどを捕まえることができなくなったために、シロクマが共食いを始めた・・・」というものだったのだ。<br />
<br />
人が何かを表現すると少なからずバイアスというものがかかってしまうものだが、温暖化現象に強引に結びつけてよりセンセーショナルな ”事件” に作り上げようとするこのカメラマン(あるいは編集者)の明け透けな意図と短絡さに呆れかえってしまったものだった。もしあらかじめシロクマの生態を少しでも調べていたら、こんな恣意的なキャプションは書けなかったのではないだろうか。ほんのわずかの言葉の誤謬が、その写真の価値を台無しにしてしまう恐ろしさも感じたものだった。<br />
<br />
自然観察では、仮説を立てることと憶測を述べることは別物なのだ。「不確かなこと」をさも事実のことのように書くことは危険極まりない。上記の記事を読んだ読者のなかには「シロクマは環境の変化により共食いをするようになった = 本来は共食いはしない動物」と捉える者が少なからずいたであろう。<br />
<br />
あくまで「根拠がないもの」や「不確かなこと」はその断りなく書いてはならないのだ。このことは自然科学にかぎらず、社会問題や社会科学に関連した出来事を伝えることにも言えることではないだろうか。最近ネット上で話題となっている大手メディアによる捏造記事とも繋がっているだろう。そういう意味においても、一人一人の受け手が情報の内容をよくよく吟味することが大切なのだと思う。<br />
<br />
<br />八木清 YAGI Kiyoshihttp://www.blogger.com/profile/08893463329390224359noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6057343438660729798.post-66340001113491026362016-08-31T13:29:00.000+09:002016-08-31T13:29:16.652+09:00八月の終わりいつのまにか八月も終わりに近づき、秋の足音が聞こえてくる季節となった。<br />
<br />
この時季になると、親友からの古い手紙に書き添えられていたヘッセの詩が思い起こされる。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<div style="text-align: center;">
もう諦めていたのに、夏はもう一度力をとりもどした。</div>
<div style="text-align: center;">
夏は、だんだん短くなる日に凝り固まったように輝く、</div>
<div style="text-align: center;">
雲もなく焼きつく太陽を誇り顔に。</div>
<div style="text-align: center;">
このように人の一生の努力の終わりに、失望してもう引っ込んでしまってから、</div>
<div style="text-align: center;">
もう一度いきなり大波に身をまかせ、一生の残りを賭して見ることがあろう。</div>
<div style="text-align: center;">
はかない恋に身をこがすにせよ、遅まきの仕事にとりかかるにせよ、</div>
<div style="text-align: center;">
彼の行いと欲望の中に、終わりについての</div>
<div style="text-align: center;">
秋のように澄んだ深い悟りがひびく。</div>
<div style="text-align: right;">
<br /></div>
<div style="text-align: justify;">
Ende August</div>
八木清 YAGI Kiyoshihttp://www.blogger.com/profile/08893463329390224359noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6057343438660729798.post-63676354441897853822016-08-02T06:06:00.000+09:002017-10-29T23:31:54.663+09:00プラチナ・パラジウムプリントを作る・・ということ。プラチナ・パラジウムプリントは感光液を紙に塗布して、印画紙を自分で作るところから始めなければならない。つまり既製品の印画紙を使うわけではないので、まずは基準となるもの(自分の中心点)を見出して、安定した結果を長期的に出していかなければならない。とても地味なことだが、これができていないと長期的なテーマで撮影に取り組んだりするとプリント制作時期によってバラバラな仕上がりになってしまい、全体として見たときにまとまりがつかなくなってくる。「職人技」という言葉があるが、それはいかに作品のバラつきをなくするかの技術のようにさえ思えてくる。本当の表現は、そのことが出来てからの話なのではないだろうか?「偶然性に賭け続けるには、あまりに人間(作家)は弱い存在」だと思うのである。<br />
<br />
プラチナ・パラジウムプリントで使う支持体(紙)は仕上がりに影響するたいせつな要因のひとつで、生産ロットによるばらつきや不安定な供給で、これまで20数年のあいだに何度も泣かされてきた。昨年末以来、数種類の新しい紙がでてきたので試しているが、なかなか良い結果が出てきている。しかし、嘗てあった「PLATINOTYPE」という紙には及ばないかもしれない。写真に写っているものがひとつひとつ立ち上がってくるようなあの立体感はあの紙でしか表現できなく、他の紙と比べると別次元のものだったように感じる。ただし、雁皮紙はまた別の次元で素晴らしい結果を出せる紙だと思う。紙の大きさやコストを別とすれば・・。<br />
<br />
プラチナプリントを始めたばかりの頃は毎回毎回、「もうこれ以上できないようなプリントを作ろう」と意気込んでいたが、ここまで書いたとおり、山あり谷ありのプラチナプリント制作。おまけに、自分自身のモノクローム写真を見る眼や価値判断だって常に変化していくものだ。<br />
<br />
結局は、作る側にとっては「その時々に最善を尽くして作品制作に取り組むしかない」という認識と、見る側には「人間はつねにコスモスとカオスのあいだを揺れ動くもの」というおおらかな認識が必要、ということでもある・・と思う。<br />
<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgZ-HBYb1kzASs0-2-hhvsT-Pay7V-NyI0s_X0KI9tySdCzzHuOa2Z-rGNQ634ILvMt0hKqpzzOzMhaAWWfLuZTNoMQ8_htliwzKawbKC4kWFjw__RLHkZrjqvlfOzRq9-DnO21yCKEtOKj/s1600/IMG_1375-2.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgZ-HBYb1kzASs0-2-hhvsT-Pay7V-NyI0s_X0KI9tySdCzzHuOa2Z-rGNQ634ILvMt0hKqpzzOzMhaAWWfLuZTNoMQ8_htliwzKawbKC4kWFjw__RLHkZrjqvlfOzRq9-DnO21yCKEtOKj/s1600/IMG_1375-2.JPG" /></a></div>
八木清 YAGI Kiyoshihttp://www.blogger.com/profile/08893463329390224359noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6057343438660729798.post-82845875575398059042016-05-07T12:48:00.000+09:002016-05-07T16:10:58.982+09:00『ものをみる - Take In』 May 10 - June 2, 2016 at PGI Tokyo.<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
PGI にて開催する企画展<a href="http://www.pgi.ac/component/option,com_frontpage/Itemid,1/lang,ja/" target="_blank">『ものをみる - Take In』</a>にプラチナプリントを出品します。<br />
グリーンランドにて8x10インチカメラで撮影した静物です。5月10日から6月2日まで。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjnemOGSyGblssCqL7RpHN5KwT3Cb02MhLWleHddT_ngcZvBPH8MLLSHeVKqevIGuuVZ3Dd7xMvOxTQVOLd1c6M5iqXg15YGmSSbMQePjspcXY6JSA_QoERu1KGvXQoEI5jQw8eMscF8JmP/s1600/IMG_1197.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjnemOGSyGblssCqL7RpHN5KwT3Cb02MhLWleHddT_ngcZvBPH8MLLSHeVKqevIGuuVZ3Dd7xMvOxTQVOLd1c6M5iqXg15YGmSSbMQePjspcXY6JSA_QoERu1KGvXQoEI5jQw8eMscF8JmP/s320/IMG_1197.JPG" width="240" /></a> </div>
八木清 YAGI Kiyoshihttp://www.blogger.com/profile/08893463329390224359noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6057343438660729798.post-1037632834908215752015-11-17T03:09:00.000+09:002015-11-18T11:18:45.568+09:00『生誕100年 写真家・濱谷浩 』展を見て先日、世田谷美術館で開催されていた『生誕100年 写真家・濱谷浩 』展を見に行った。どんよりとした肌寒い平日だったが、思いのほか来場者が多かった。<br />
<br />
展覧会は、1930年代の東京のスナップからはじまり、作品集『雪国』としてまとめられた1940年代の豪雪地帯の新潟の暮らし、そして日本海側の暮らしを写した『裏日本』、安保闘争、各界の著名人を撮影した『學藝諸家』と続いた。濱谷氏といえば『雪国』と『裏日本』は特に有名で、『裏日本』の初版本は結構な値がしたが私も手元に持っている。<br />
<br />
濱谷浩氏といえば、キャパやカルティエ=ブレッソン、『LIFE』誌などで代表されるフォトジャーナリズム全盛期を生きた人だ。同時に、世界中で社会や文化がかなり大きく変化した(失われていった)時代でもあったと思う。<br />
<br />
写真展を見ていて、ひとつ気になったことがあった。解説では、安保闘争や当時の政治家たちの決断から人間(日本人)に対して幻滅し、撮影対象を国内外の自然風景へと移していったとあった。氏の風景写真についての文章をしっかりと読んだことがないので、あまり述べることはできないのだが、はたして人間(日本人)に幻滅したからと対象を自然に変えたところで、根本的な問題からは決して自分自身を誤魔化すことはできなかったのではなかろうか?その問題とは、氏自身も人間であり日本人である、という矛盾だ。そんなことは当然、氏もわかっていたことであろうが・・。<br />
<br />
1964年に出版された『日本列島』という風景写真集の冒頭には、「人間は いつか 自然を見つめるときがあっていい」という言葉がある。いまの私の解釈では、この言葉からは人間との闘争からの疲弊感のようなものが感じられる。だが、それは他者との闘争であったと同時に、自分との闘争なのだったと思う。”ほんものの仕事” をする写真家にとっては、人間を撮影しようが自然を撮影しようが、結局は政治的イデオロギーなどをはるかに超えた自分との闘争を心の闇のなかに引きずっていくほかないのではないか(私自身、そういった自然写真家たちを知っている)。鋭い感性と洞察力の持ち主というものは、あらゆる世界や自己の矛盾を否応にも察知してしまうからだ。これは創作に関わる一部の者の宿命としか言いようがないことだと思う。<br />
<br />
写真展を見ながらそんな想いがして、贅沢な不満ではあるが、できれば濱谷氏のその後の風景写真も展示の流れのなかで見てみたかった。その流れのなかでこそ、氏がどのように自分自身の葛藤を克服あるいは受け入れるようになっていったか(あくまで「葛藤」を持っていたらの話だが・・)、それによって世界観がどのように変化していったのか、また日本人として日本をどのように見つめ返したのかを感じてみたかった。また、もしも人間と自然の関係は決して断ち切ることはできないということを撮影をとおして経験的に悟ったのであれば、それを示すのも写真家としての仕事だと思うのである。そう思うのは、私が高校生の頃に出会った、カナダで国立公園の制定にかんした仕事をされていたある日本人の理学博士の言葉が想起されてくるからだ。<br />
<br />
<div style="text-align: center;">
<div style="text-align: left;">
「自然を愛するとは、そこに暮らす人々を愛することでもある」</div>
</div>
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />八木清 YAGI Kiyoshihttp://www.blogger.com/profile/08893463329390224359noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6057343438660729798.post-87780232401494121002015-07-06T01:56:00.000+09:002015-07-06T18:09:57.458+09:00アラスカと日本の夏休み<span style="font-family: Verdana, sans-serif;">アラスカでの学生時代に世話になっていた教授とあるSNSでつながっているのだが、夏休みに入りアラスカ州からオレゴン州まで車で旅をするらしく、「三週間ではなく、三ヶ月あったらなぁ」なんて、大抵の日本人が見たら「なんて贅沢な!」と嫉妬するようなことを書き込んでいた。</span><br />
<span style="font-family: Verdana, sans-serif;"><br /></span>
<span style="font-family: Verdana, sans-serif;">日本以外のアジア圏や他地域の夏季休暇の事情は知らないので、自分の経験で知っている範疇でしか書かないが、ヨーロッパでも夏場は数週間に渡ってヴァケーションをとる。グリーンランドに撮影に行く場合はコペンハーゲン経由なのだが、旅程のタイミングをあやまると向こうの夏季休暇中にはまってしまい、宿や乗り物の手配にけっこう苦労したりする。コペンハーゲンだけでなく、グリーンランドのような『僻地』さえも観光客でごった返すのだ(この期間、やはり2〜3週間はある)。</span><br />
<span style="font-family: Verdana, sans-serif;"><br /></span>
<span style="font-family: Verdana, sans-serif;">日本でどれほどの勤め人が三週間の休暇をとれるのか知らないが、ほとんどの場合、このアラスカ教授氏の 1/3 ぐらいではないだろうか(当然アメリカでも職種や人によって異なるだろうが)。夏休みの短さが「日本人は勤勉だ」と言われてきたことに多少でも関係があるかもしれないが、そもそも、日本人はもとから<勤勉>な民族だったのだろうか?</span><br />
<span style="font-family: Verdana, sans-serif;"><br /></span>
<span style="font-family: Verdana, sans-serif;">古典落語のまくらで「江戸の頃の職人たちは半日くらいで仕事を切り上げて、あとは好きなことをしていたようです・・」というのを聞いたことがある。酒なども、一度にたくさん買ってしまうとあるだけ飲んでしまって仕事にならなくなるから、奥さんや子供が父親のために一回に飲む分量だけを量り売りしてもらっていたとか・・(これは昭和期に入ってもそういうことがあったと知り合いから聞いたことがある)。いずれにせよ、過去へ遡るほど日本もおおらかな時代であったことは間違いないようだ。</span><br />
<span style="font-family: Verdana, sans-serif;"><br /></span>
<span style="font-family: Verdana, sans-serif;">ところで、「ドロモロジー(dromologie)」という言葉がある。これはギリシア語の「ドロモス:前進、競争、逃走」と「ロゴス:原理、体制」を合わせた造語らしい。つまり、<人間を先へ先へと走らせ、追い立てる強制力>という意味がある(M.ハイデガーの言った<ゲシュテル>もこれに近い認識だろうか)。産業革命以降、工場の稼働率や費用対効果を上げることから、機械の始動・稼働時間、停止時間に合わせて労働時間が逆規定され出したという説、言い換えれば、人間自身が機械にあやつられる事態がこの時からすでに始まっていたという考え方もドロモロジーは含んでいる(日本の電車などの正確無比な発着時間には、ドロモロジーが潜んでいると考える人もいる)。</span><br />
<span style="font-family: Verdana, sans-serif;"><br /></span>
<span style="font-family: Verdana, sans-serif;">この造語はポール・ヴィリリオというフランスの思想家によるものなので、この<不可視の強制力>に対する問題意識は、産業革命が起こったヨーロッパご当地で生まれたわけだ。以前から感じていたことだが、思想・哲学の系譜や科学技術の進歩に対して、その発祥の地であるヨーロッパではつねにそのことに対して内省する力学がはたらく伝統があるように思う。科学技術やそれを支える哲学や思想さえも問うドロモロジーという問題提起も、その一例だと思う。こういった思考・哲学や科学技術に対する反動した力学が起きる土壌がヨーロッパにあるのは、デカルトやパスカルなどをはじめとする多くの哲学者が同時に自然科学者でもあることに理由があると思う。理論・技術とそれを扱う思想は、切っても切り離せない関係なのではないだろうか。</span><br />
<span style="font-family: Verdana, sans-serif;"><br /></span>
<span style="font-family: Verdana, sans-serif;">翻って日本はどうだろうか?哲学・思想にせよ科学技術にせよ、幕末から明治にはいって近代化の目的(というか最初は西欧諸国の植民地支配下にならぬための先手としての近代化ではあったのだろうが)のために表面的な部分だけをどんどん輸入して普及・発展させることだけを優先して、そのことを問うたりする根底の思想がおろそかになってきた面はかなりあったのではないか(福沢諭吉などはこの問題を深く考えて、当時すでに啓発していたようだが)。</span><br />
<span style="font-family: Verdana, sans-serif;"><br /></span>
<span style="font-family: Verdana, sans-serif;">こんな問題を今更ここで書かなくてもどこかで既になされてきたわけだが、毎日が忙しなく流れていくことに身をまかせ、何も考えずにひたむきに生きる方が、生や自己を問うたり考えたりするより、よっぽど楽なこともある。しかし『アラスカ教授氏の夏休みの短さに対するちいさな不満』に触れて、実は教授氏もそれなりにアラスカ版ドロモロジーの支配下にあるのか〜とか、日本人の夏休みの短さは「日本人が勤勉だから」というよりも、「日本人は、<不可視の強制力>に対して従順だから」と表現した方が良いのではないか、だとしたら「なぜ従順なのか?おのれの思想を問う・内省する姿勢が、とりわけ日本人には欠落してきたからか?」という疑問も生じてくるなあ・・などと考えてしまうのである。</span><br />
<span style="font-family: Verdana, sans-serif;"><br /></span>
<span style="font-family: Verdana, sans-serif;">「アーティストなど、社会の輪からずれ落ちたヤツが。大きなお世話だ!」と言われたらおしまいなのだが・・(自分がアーティストなどと思ってはいないんだけど)。</span><br />
<span style="font-family: Verdana, sans-serif;"><br /></span>
八木清 YAGI Kiyoshihttp://www.blogger.com/profile/08893463329390224359noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6057343438660729798.post-19105820220492499722015-05-22T00:03:00.000+09:002015-07-06T01:56:49.429+09:00Viewing the Silence of the Valley.<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgnhQtzNkRsIS82bU1UchT57rqvmsZFR8F_d_efSt8WWw33kVZzrwytg6S58uPw492zyymvNlZOR7j_PlRj6-P88bTLFH375tvhR1RaNgU_XKUK8MotAmiLv9eM3ce-MKqll0cNhr5mm-S7/s1600/Robertson+Fjord.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="214" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgnhQtzNkRsIS82bU1UchT57rqvmsZFR8F_d_efSt8WWw33kVZzrwytg6S58uPw492zyymvNlZOR7j_PlRj6-P88bTLFH375tvhR1RaNgU_XKUK8MotAmiLv9eM3ce-MKqll0cNhr5mm-S7/s320/Robertson+Fjord.jpg" width="320" /></a></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
Robertson Fjord in the northwestern Greenland.</div>
八木清 YAGI Kiyoshihttp://www.blogger.com/profile/08893463329390224359noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6057343438660729798.post-42155715765769111942015-05-21T03:04:00.000+09:002015-07-02T21:50:53.215+09:00エトヴィン・フィッシャー<iframe allowfullscreen="" frameborder="0" height="344" src="https://www.youtube.com/embed/u2A3r2GfySE?list=PLVHOKDv3a1A9lQz0Gq1iVhPYRjGIZlvJV" width="459"></iframe><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
今は亡き知人から、エトヴィン・フィッシャー著の「音楽を愛する友へ」という文庫本をもらい、原野での撮影中、テントのなかで何度も読みかえしてきた。日本語訳の堅苦しい文体もあって少々とっつきにくい文章だが、音楽のことに限らず、日常の何気ない光景の描写にも繊細な人間性があらわれていると同時に、著者の洞察力の深さが感じられる良書だ。<br />
<br />
<br />
バッハの平均律を最初に録音し、現代に<再発見>したのが、フィッシャーだそうだ。彼の演奏がもっとも真摯にバッハの音楽に向き合っているといまなお評されることがあるのは、信仰心から、神にささげる気持ちで作曲されたものを、演奏者の<独創性>を発露するための作品としてフィッシャーは受け取っていなかったからなのかもしれない。<br />
<br />
<br />
自然写真の評論などでも、「打ち震えるような感動の気持ちを作品に表現しろ」というような、万人に理解可能な単純な論評で安易に総括する評論家がいるが、そんな人には例えば「自然に分け入ると、襟をただすような気持ちになる」という感覚は理解できないのかもしれない。<自己>が無化してしまうような事態が世界にあることを知らないのかもしれない。いや、もし知らないのならば当然のことだろう。それは根本的に<経験>するしかないからだ。出会った光景なり事象なりに内包される厳粛さに自分の波長が一致し、<感動する気持ち>をはるかに超えた<畏怖の念>を抱きある種の信仰心が芽生えるような事態に陥ることも、滅多にあることではないにせよ存在するのである。そんな稀有な世界の奥深さを探求し作品に表すことは困難ではあろうが、卑小な自己表現だけに埋没するよりもそのことに努めることの方が、芸術家にとってはより本来的な仕事のように思う(もはや現代では「だった」と過去形で言うべきなのだろうか)。それは<刺激>や<斬新さ>、<わかりやすさ>などではなく、世界やものごとの<深さ>を探求することだろうから、見る方にとってもそれなりの見る努力が強いられることではあろう(往々にして古典と呼ばれる作品にそういった側面が見られるように)。<br />
<br />
<br />
「語りえぬものには沈黙しなければならない(L. Wittgenstein)」という言葉があるが、ものごとの深さの探求とは、「語りえぬもの」に通じる長い道のりなのかもしれない。それは、ただ<生きること>のなかに示され、語ることもできず、語るべきでもない(また、こうやって書くべきでもないのだろうが・・)。思えば、私自身がこれまでに魅了されたすべてのアーティストたちの作品から共通して感じられることは、強烈な彼らの<生き様>であった。そして、私自身はそこに一番の感動を覚えてきた。それはまさに、彼らの生に対する真摯な姿勢がありありと体現されているからだろう。そのような作品においてはまさに、「美とは人々を(真実に)おびき寄せるための餌でしかない(S. Celibidache)」のではないか。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />八木清 YAGI Kiyoshihttp://www.blogger.com/profile/08893463329390224359noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6057343438660729798.post-20569238090749696802015-01-12T04:58:00.000+09:002015-01-13T00:18:03.293+09:00写真展 silat naalagaq 〜世界に耳を澄ます〜1月9日から、東京の<a href="http://www.pgi.ac/component/option,com_frontpage/Itemid,1/lang,ja/" target="_blank">フォトギャラリーインターナショナル</a>で「silat naalagaq 〜世界に耳を澄ます」を開催しています。<br />
<br />
今回は16 x 20 インチの大判プラチナプリントを中心に、アラスカ、カナダ、グリーンランドで撮影した作品を展示しております。現在、プラチナプリント用の拡大ネガはいわゆる「デジタルネガ」が完全に主流となっており、私自身もデジタルネガを作ってプリントをすることがあります。しかしながら、理想的な拡大ネガを模索するなかで銀塩フィルムの持つ潜在的な情報量、階調の豊富さを再認識し、16 x 20 インチの超大判銀塩フィルムを使った拡大ネガを田村政実氏に依頼し、この数年間大判プリントを集中的に制作してきました。<br />
<br />
写真展開催中の1月30日には、私の師でもある水越武先生とのトークを開催予定です。すでに多くの方々から予約を頂いておりますので、<a href="http://www.pgi.ac/content/view/431/75/lang,ja/" target="_blank">こちら</a>で早めの予約をお勧めします。<br />
<br />
<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhg4CEo0VktFTZayX2Q3IRPbtopop3acJRTaGeikpN6T_FjQN5D6gf10N1jN23JvGT70U_JmeaCf61lmDamL67BBK-PSF1SDXku4xn8fXfXN3RCZce4TzlvoyuH3ERVN2qQ5KJ0-6-d2b_1/s1600/RIMG0074.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhg4CEo0VktFTZayX2Q3IRPbtopop3acJRTaGeikpN6T_FjQN5D6gf10N1jN23JvGT70U_JmeaCf61lmDamL67BBK-PSF1SDXku4xn8fXfXN3RCZce4TzlvoyuH3ERVN2qQ5KJ0-6-d2b_1/s1600/RIMG0074.jpg" height="214" width="320" /></a></div>
<br />
<br />
<br />
<br />
<div style="font-family: Papyrus; font-size: 24px; text-align: center;">
Silat Naalagaq<span style="font-size: 14px;"> </span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic ProN'; font-size: 14px; text-align: center;">
シラ<span style="font-family: Papyrus;"> </span>ナーラガ</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic ProN'; font-size: 14px; text-align: center;">
~世界に耳を澄ます~</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic ProN'; font-size: 14px;">
</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic ProN'; font-size: 14px;">
「シラ ナーラガ」とは、グリーンランド北西部に暮らすイヌイットのあいだで日常的に使われている言葉で、直訳すると「天気が親分だ」という意味である。しかしどうやらこの表現はグリーンランドだけにとどまらず、もっと広域にわたって使われているようだ。カナダ北極圏をまたぐバフィン島を旅したときにも、現地のイヌイットが「Weather is the boss here. (ここでは天気がボスさ)」と言っていたことを思い出す。そのときの会話は英語ではあったが、風変わりな言い回しをするものだと感じていた。極地ではひとたび天気が荒れると、数日間、場合によっては数週間にわたって自然が猛威をふるい、漁や狩猟がおこなえなくなることも珍しくはないのである。</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic ProN'; font-size: 14px; min-height: 21px;">
<br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic ProN'; font-size: 14px;">
アザラシやセイウチ、鯨類などの海洋動物をおもに獲るイヌイットは、天候、海流、流氷、雪や棚氷などの状態に依存しており、狩猟は自然界との精妙なバランスのうえに成り立っている。気象や天候は、彼らの言葉で「シラ」と言いうが、その語には「外」「空気」「大気」「世界」「知性」「知恵」などの意味もある。さらに古い時代にあっては、天候をつかさどり地球上のあらゆる生命を支えているという「大気の精霊」の名でもあった。平穏な天候と狩猟の成功を切望するイヌイットが、死活をかけて創造し築き上げてきた世界観、宇宙観が、シラという言葉に内包されているといえよう。そして「ナーラガ」という言葉が意味する「親分(boss)」とは「指導者(leader)」、「チーフ(chief)」と同義であり、つまり「傾聴すべき存在者」という意味が包含されている。</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic ProN'; font-size: 14px; min-height: 21px;">
<br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic ProN'; font-size: 14px;">
極北では有史以前から様々な文化が生滅し、そして融合し、いまでは知る由もない神話の世界が綿々と営まれてきた。人の気配など微塵もないツンドラの原野には、植生に被い尽くされ風景の一部と化した廃墟がいまなお残る。山の斜面に無造作に置かれた岩と岩の影に見え隠れする地衣類が生した骨は、それが原初の墓であることを物語る。ツンドラを吹く風には、はるか遠いむかしにユーラシア大陸からわたってきた人々の軌跡と鼓動が、仄かながらも息吹いているのだ。</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic ProN'; font-size: 14px; min-height: 21px;">
<br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic ProN'; font-size: 14px;">
旅をとおしてかいま見る生の営みは厳粛であり、普遍の真実に触れているという感触を与えてくれる。しかし、カメラのピントグラスの向こう側に見るのは、麗しい光景だけではなかった。テクノロジズムへの妄信を本源とする急進的な文明の波から、もはや極北の地も免れえないという現実である。家族や共同体という核が急速に変質していくことは、歴史と伝統から紡がれてきた「知恵」が日常のさまざまな場面から追放され、忘却されてゆくことでもある。「生と死」という人間の本来性にかかわる問いは、今日において、宗教や信仰の場においてだけで解決しうるものではなく、まして科学の力をもって解決できるものではない。狩猟を基盤とする生活は、そんな根源的な問いをもっとも身近に体験し共有できる原初の生活形態なのだ。</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic ProN'; font-size: 14px; min-height: 21px;">
<br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic ProN'; font-size: 14px;">
時として、美しさや儚さ、厳しさという観念さえ超越した様相をあらわす世界に、私は言葉を奪われ、沈黙するしかない。しかし、時代の運命をみつめながらも、極北の風景にいまなお残る歴史と記憶をたどる旅を続けていきたい。その途が未来への展望としてつながり、いまをどう生きるか、そして己の生をまっとうすることの意義へと通じるであろうからだ。</div>
<div>
<br />
八木 清<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<div style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 14px; text-align: center;">
旅を続ける八木清</div>
<div style="font-size: 14px; min-height: 18px; text-align: center;">
<br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 14px;">
道東の我が家に、驚くほどの特大リュックを背にした八木清君が訪ねて来たのは<span style="font-family: Times;">1993</span>年<span style="font-family: Times;">11</span>月だった。星野道夫さんの紹介で、まだアラスカ大学の学生だった彼とは数度の手紙のやり取りがあったが、この時が初対面だった。</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 14px;">
<span style="font-size: 10px;"> </span>それから彼と行動を共にする旅が始まった。アマゾン源流部など熱帯地方が多かったが、彼の語学力と若い体力には大いに助けられた。品と信を好み、限界まで追求し徹底しないと</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 14px;">
気が済まないところなど、性格面でも共通点があり、彼とは今でも同志的な繋がりを強く感じている。</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 14px;">
時とともに社会は移り変わる。理想を追いかけ、それと逆行する動きをすれば、時代と血みどろの格闘をすることになる。</div>
<br />
<div style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 14px;">
プラチナプリントの『シラ ナーラガ』を見せて頂き、彼にはその覚悟ができていると私は読んだ。この奇跡のような旅はまだ終わる気配がない。敬意を込め、彼の厳しい旅を温かく見守りたい。 </div>
<div style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 14px;">
<br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 14px;">
水越 武</div>
</div>
<div>
<br />
<br />
P.G.I. 写真展案内 「silat naalagaq 〜世界に耳を澄ます〜」より</div>
八木清 YAGI Kiyoshihttp://www.blogger.com/profile/08893463329390224359noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6057343438660729798.post-7632768228624571272014-05-29T13:24:00.002+09:002014-05-29T13:24:40.822+09:00永遠の瞬間<br />
「永遠とは、終わりも始まりもない時間の継続のことではない。永遠の今のことである。だから、私たちにとっての今は、アダムにとっての今でもあったものと、同一なのである。言いかえれば、今現在と当時とのあいだに差異はないのだ」<br />
<br />
<span style="background-color: white; color: #545454; font-family: arial, sans-serif; line-height: 18px;">Arthur Schopenhauer</span>八木清 YAGI Kiyoshihttp://www.blogger.com/profile/08893463329390224359noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6057343438660729798.post-59266656163773822022014-05-16T03:53:00.000+09:002015-07-13T17:34:29.733+09:00「芸術」という言葉がはらむ胡散臭さこれまで「芸術」という言葉は、極力つかうことを避けてきたように思う。どこか「胡散臭さ」とか「如何わしさ」を感じて、「表現」とか「創作」という言葉を代わりに使って切り抜けてきた。「芸術」とはなにか自分なりに考えたこともあったが、勝手に自分で新たな定義を作り出して乱用するわけにもいかない。言葉の意味の問題なのだから、素直に語源をさかのぼって考えるしかなかろう・・・(「藝術」という語は、明治に西周によって「liberal arts」に対応して造語され、その後「art」と同義語として扱われるに至ったそうなので、まずは「art」という語を前提として考えてみる)。<br />
<br />
「アート」とはラテン語の「ars(アルス)」が語源で、「技術」「才能」「資格」「自然の秩序」という意味で、さらにその語源はギリシャ語の「techne(テクネー)」にあるという。「テクネー」とは、当然ながら「テクニック、テクノロジー」の語源。「テクネー」は、何かを制作するための技術であるわけだが、その「制作」は古代ギリシャでは「ポイエーシス」と言われていたらしい。<br />
<br />
「ポイエーシス」には、「制作、詩作」という意味があるそうだが、その制作行為とは、「自然を露開させること」と認識されていたらしい。どういう意味だろうか?ミロのビーナスとかニケ像などの古代ギリシャの彫像。その荘厳な姿は、彫刻家の技術(テクネー)によって、もともと大理石のなかに埋もれていたミロのビーナスなりニケの姿を余分な大理石を削り落とし、陽光のもとに導きだしたと考えられていたそうだ(そういう意味では、日本の仏師が木の塊から仏像などを彫りだす行為とも同じだと思う)。<br />
<br />
隠れて未発見の状態であるものを、「テクネー(技術)」を持ってあらわに開示するという行為・・・そのことを考えれば、おのずと「芸術」という言葉が持つ本来の意味がわかってもこよう。<br />
<br />
現代になって、「技術」というものが、利便性とか効率性、合理化のための便利な道具になってしまった面が多いにあることと、「芸術」が単なる自己表現になりさがったことは、通底しているように思えてならない。つまり、自然と密接にかかわり合った本来的な在り方から離れて、人為的、よりヒューマニズム的(人間中心主義的)になったのではないだろうか。この人間の理性への過信がもっとも顕著に表れているのが、いまのテクノロジー崇拝だとも考えられるのではないだろうか。<br />
<br />
そう考えてみると、自分にとって「芸術」という言葉に対する抵抗感とは、「ヒューマニズム」に端を発しているように思われる。「ヒューマニズム」を臆面もなく振りかざす行為と、現在広く使われている「芸術」という言葉がはらむ如何わしさは、同じ嫌悪感をもって腹の底からわき上がってくる感じがするからだ。臆面もなく芸術家を主張したりヒューマニズムを主張したりすることができる人を、少なくとも自分は信用できない(「人間の命は地球よりも重い」などというのはまったく論外だと思う)。<br />
<br />
ときおり、アート市場でびっくりするような値段で作品が売買されたりして話題になるが、自分が「芸術」という言葉に感じていた嫌悪感は、芸術作品がそのような投機目的や拝金主義者たちの対象であること以上にもっと深い部分に根っこがあるようだ。このことに関しては、もう少し自分の腹の底をさぐって何が潜んでいるのか確かめてみる必要がありそうだ。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />八木清 YAGI Kiyoshihttp://www.blogger.com/profile/08893463329390224359noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6057343438660729798.post-10622164054681275352014-05-15T16:14:00.002+09:002014-05-15T18:47:03.959+09:00言葉、世界・・・sila<span style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 14px;">「言葉で掛けた魔法を言葉で解くことはできない。だから音楽や絵画や写真が必要とされる」なんて言おうものなら、小説家あたりに目を吊り上げて怒られそうだし、「それは思考停止状態だ!」なんて糾弾されもしそうだ。</span><br />
<span style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 14px;"><br /></span>
<span style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 14px;">しかし、言葉を使ってしまうと、一向に知りえなく、そのまま一番肝心で大切なことを取りの逃がすことがある。何かの光景を目の当たりにして当惑したり、感動したり・・その気持ちをなんとか言葉にしたときには、もう本来受けた衝撃や感動したことから遠のいたりしている(そのために、小説家は行間からナニゴトかを立ち上がらせたり伝えたり努力するのだろう)。</span><br />
<span style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 14px;"><br /></span>
<span style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 14px;">このほんらい混沌とした世界を認識するために、人間は言葉を使う。これまで混沌に無数の区切り目を入れて「世界」を構築してきたし、この今も、しつづけている。「人間は言葉の生き物」といわれるのもその所以だが、ならば、区切り目を入れるごとに、区切り目と区切り目のはざま(混沌、闇)はさらに増えていくはずでもある。人間はそのことに恐れや不安を感じ、</span><span style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 14px;">もうどうにも行き詰まってしまったときには、とうとうその言葉を「解体」したりもする。結局それは、「言葉」どころか「自分自身」を解体していることではないかとも思えるのだが、</span><span style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 14px;">物事を知れば知るほど、混沌(謎)が深まってゆくという深遠さを物語っているかのようでもある(</span><span style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 14px;">世界の謎が深まるというよりも、自分自身の謎が深まってゆくと言うべきか?M. ハイデッガーの言った、「存在は了解のうちにある」とか「現存在(人間)が存在するかぎりでのみ、存在はある」という言葉が思い起こされる)。</span><br />
<span style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 14px;"><br /></span>
<span style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 14px;">「世界」というものの認識の仕方自体、人間の言葉のうえに成り立っているともいえる・・ということは、言語が違ってしまえば、世界観も変わるということでもある。文化によって考え方や価値観が違うのも当然だろう。文化の「核」は言葉なのだから。</span><br />
<span style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 14px;"><br /></span>
<span style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 14px;">だとすれば、常に「速度」が求められる(強いられる)現代で、言語とか世界観というものはどのように変化しているのだろうか?テクノロジーというものは、蓄積された知識や技術が多くなればなるほど、その発展の度合いは一層加速してゆくというが、言語の変化の加速度もやはり増しているのだろうか?</span><br />
<span style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 14px;"><br /></span><span style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 14px;">はやり廃れが激しい今の世の中で、「ひとつの言語が消える」などということを日常的に考える人はあまりいないと思う(そんな余裕もないだろうが)。しかし、</span><span style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 14px;">言語学的には、言葉というものは放っておいても、おおよそ1000年ぐらいで相互理解ができないくらいに自然と変化すると考えられている(同化政策のように、強制的にその言語の使用を禁止しない場合)。</span><span style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 14px;"><br /></span>
<span style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 14px;"><br /></span><br />
<span style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 14px;">以前出版した写真集「sila」(イヌイット語で「世界」の意)で、アリュート、ユピック、イヌイットの親子三世代の家族のポートレートを含め、三つの言語(西グリーンランド語(アリュート・エスキモー語族を代表して)、日本語、英語)で表記したのは、</span><span style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 14px;">エスキモーの文化に対して敬意を表するのが第一義でもあるのだが、(たった半世紀の)同化政策の結果</span><span style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; font-size: 14px;">「今世紀中にほとんどの地域でイヌイット語を話せる世代が途絶える」という事実、この世から、ひとつの「世界」が消える、という思いにも根付いている。</span><br />
<br />八木清 YAGI Kiyoshihttp://www.blogger.com/profile/08893463329390224359noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6057343438660729798.post-39555962963362425092014-01-01T03:48:00.002+09:002014-01-01T03:48:29.226+09:00「長野県出身の写真家たち」四谷ポートレートギャラリー<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhT_mW6ik8kdJ8VrXa6zMPS_-ne_hHtFTyvLs2F1BzZitto7ldFPzXVb8U5F2mnN7CmNZGtdpY_qijeNuvNDtL14XUUHHaNbfZHw5WEISgKlyEfdUVh-SBXaSDPwilTkopOozTj86ESwH3a/s1600/_A2.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhT_mW6ik8kdJ8VrXa6zMPS_-ne_hHtFTyvLs2F1BzZitto7ldFPzXVb8U5F2mnN7CmNZGtdpY_qijeNuvNDtL14XUUHHaNbfZHw5WEISgKlyEfdUVh-SBXaSDPwilTkopOozTj86ESwH3a/s320/_A2.jpg" width="225" /></a></div>
<br />
去年11月〜12月まで長野市で開催した「長野県出身の写真家たち」を、1月30日(木)〜2月5日(水)まで<a href="http://www.sha-bunkyo.or.jp/gallery/port.html" target="_blank">四谷ポートレートギャラリー</a>にて開催します。私はカラー作品3点を出品します。八木清 YAGI Kiyoshihttp://www.blogger.com/profile/08893463329390224359noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6057343438660729798.post-4253739030908772812013-12-09T03:52:00.001+09:002013-12-09T03:52:00.889+09:00Jordi Savall - Les Voix Humaines, Prelude (Abel) 『人間の声』<iframe allowfullscreen="" frameborder="0" height="344" src="//www.youtube.com/embed/UIqyNpYC-S0" width="459"></iframe>八木清 YAGI Kiyoshihttp://www.blogger.com/profile/08893463329390224359noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6057343438660729798.post-57603897624257046712013-11-26T22:14:00.001+09:002013-11-27T12:20:33.250+09:00Printing the Bien Book in Verona, Italy March, 2013<iframe allowfullscreen="" frameborder="0" height="270" src="//www.youtube.com/embed/nEru2j8L8Y0" width="480"></iframe><br />
<br />
ここ数年、大好きなオーデュボンの画集が高品質・高精度の印刷で出版されている。ハーバード大出版部からも原画の画集が出ていた。これは今年に出版された画集の印刷風景。だいぶ値が張る画集だが、やっぱり欲しいなあ(数年前に買った画集は$800まで値上がっている!)。八木清 YAGI Kiyoshihttp://www.blogger.com/profile/08893463329390224359noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6057343438660729798.post-56991610066525148912013-11-05T03:03:00.000+09:002013-11-07T04:44:53.922+09:00「長野県生まれの写真家たち」トークイベント<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj4q3jb4SYc_Elz8ittQk3QtMT8aUb9iHCn3oOYskkzdgPA3MpBjDHDWg0cvzvbpDLKIhCPQGfP1KItxQb4adOLy8nr-UwuSZFnc34BnDT5fnLpL3QUZ8bpBuswQc9sRCCNEZlDvwO8a9pv/s1600/RIMG4501.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="238" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj4q3jb4SYc_Elz8ittQk3QtMT8aUb9iHCn3oOYskkzdgPA3MpBjDHDWg0cvzvbpDLKIhCPQGfP1KItxQb4adOLy8nr-UwuSZFnc34BnDT5fnLpL3QUZ8bpBuswQc9sRCCNEZlDvwO8a9pv/s320/RIMG4501.JPG" width="320" /></a></div>
<br />
長野市の北野美術館別館で開催中の「<a href="http://www.kitano-museum.or.jp/cultural/index.html" target="_blank">長野県生まれの写真家たち</a>」にて、先週末、由良環さんのトークが開催されました。由良さんは 4x5 インチカメラで世界の都市を定点撮影し、モノクロームプリントを制作されている方。今年の日本写真協会賞新人賞を受賞されました。<br />
<br />
12月1日までの開催期間中、参加作家によるトークイベントが予定されています。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjUn4pAJmU0P4gpUwmGey4N1uYRR0a7avxmgRffeDKxqkwycIp-kG9k-HSWcxX7WDEXbh6fFFOJn-x9QRii52I-QCSHf3-FEFbuHYst-lZdiXDsZKtoqywhGGiHdrHIJdsWFv12kAJtaESP/s1600/%E3%82%A4%E3%83%98%E3%82%99%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%81%E3%83%A9%E3%82%B7.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjUn4pAJmU0P4gpUwmGey4N1uYRR0a7avxmgRffeDKxqkwycIp-kG9k-HSWcxX7WDEXbh6fFFOJn-x9QRii52I-QCSHf3-FEFbuHYst-lZdiXDsZKtoqywhGGiHdrHIJdsWFv12kAJtaESP/s320/%E3%82%A4%E3%83%98%E3%82%99%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%81%E3%83%A9%E3%82%B7.jpg" width="225" /></a></div>
<br />八木清 YAGI Kiyoshihttp://www.blogger.com/profile/08893463329390224359noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6057343438660729798.post-83157482153207460932013-10-29T00:09:00.000+09:002013-10-29T00:09:31.289+09:00「長野県生まれの写真家たち」作品展<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEidkE_mXRW5Gs2ugSrTBKCl5yPv3J49klWEmHY0rgx1iaTukJjXuKuLX5j4iAYRBQU_P7Wn1sPXwMHISDvN5KmfqFeIwC1hXoJcZKLklnny-Hr66IbYslJwhUPz1r7gP5JmZ4I6Qg8Mr-ji/s1600/%E3%83%9B%E3%82%9A%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BCA2.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEidkE_mXRW5Gs2ugSrTBKCl5yPv3J49klWEmHY0rgx1iaTukJjXuKuLX5j4iAYRBQU_P7Wn1sPXwMHISDvN5KmfqFeIwC1hXoJcZKLklnny-Hr66IbYslJwhUPz1r7gP5JmZ4I6Qg8Mr-ji/s320/%E3%83%9B%E3%82%9A%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BCA2.jpg" width="225" /></a></div>
<br />
<br />
<div style="text-align: justify;">
長野県長野市にある北野美術館別館 <a href="http://www.kitano-museum.or.jp/cultural/" target="_blank">北野カルチュラルセンター</a>にて開催される写真展「長野県出身の写真家たち」に、作品を出展します。</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; text-align: justify; text-indent: 12.1px;">
<b><br /></b></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; text-align: justify; text-indent: 12.1px;">
北野カルチュラルセンター(北野美術館分館)では、<span style="font-family: 'Times New Roman';">10</span>周年記念展として長野県生まれの写真家たちに焦点を当てた「長野県生まれの写真家たち」代表作品展を開催します。</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; text-align: justify; text-indent: 12.1px;">
今回の出品者は計<span style="font-family: 'Times New Roman';">22</span>名、一人<span style="font-family: 'Times New Roman';">3</span>点<span style="font-family: 'Times New Roman';"> / </span>全作品<span style="font-family: 'Times New Roman';">66</span>点が一堂に展示されます。</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; text-align: justify;">
この中には、「日本写真協会賞作家賞受賞者=<span style="font-family: 'Times New Roman';">3</span>名」「同賞新人賞受賞者=<span style="font-family: 'Times New Roman';">7</span>名」「ニコン伊奈信男賞受賞者<span style="font-family: 'Times New Roman';">=3</span>名」「ジャーナリスト賞関係受賞者=<span style="font-family: 'Times New Roman';">3</span>名」も含まれております。</div>
<br />
<div style="font-family: 'Hiragino Mincho ProN'; text-align: justify; text-indent: 12.1px;">
また、物故者として飯田市出身の藤本四八(日本写真家協会会長)をはじめ、阿智村出身の熊谷元一、米国で活躍したハリー・<span style="font-family: 'Times New Roman';">K</span>・シゲタ、松代町出身の島田謹介等の作品も展示します。</div>
<div>
<b><br /></b></div>
<div>
北野カルチュラルセンターでの展示は10月30日(水)から12月1日(日)まで。</div>
<div>
この写真展は、東京都新宿区四谷のポートレートギャラリーでも、2014年1月30日(木)から2月6日まで開催予定です。</div>
<div>
<b><br /></b></div>
八木清 YAGI Kiyoshihttp://www.blogger.com/profile/08893463329390224359noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6057343438660729798.post-9426426122086564812013-10-17T22:03:00.001+09:002013-10-18T12:00:59.910+09:00写真集「sila」サイン・エディションなし<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj4H7MKtdRGdMewxPagE8TgIT4qH3G1L-DFfSmt3RhEzkv_lJk4dhhtvE6Nh4cWkEKbMlj_BgWdQpf5EFnOHWTPupBvx219GsXNTwHAVzwbBRWbYF5fYqnOO69knLlRKsz9cQ5Tj28w9DGf/s1600/41529.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="272" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj4H7MKtdRGdMewxPagE8TgIT4qH3G1L-DFfSmt3RhEzkv_lJk4dhhtvE6Nh4cWkEKbMlj_BgWdQpf5EFnOHWTPupBvx219GsXNTwHAVzwbBRWbYF5fYqnOO69knLlRKsz9cQ5Tj28w9DGf/s320/41529.jpg" width="320" /></a></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<br /></div>
写真集<a href="http://www.book-komiyama.co.jp/booklist_detail.php?item_id=41110" target="_blank">「sila」の サイン・エディションなし</a> が一冊のみ、特価で購入可能です(中古扱いですが)。関係者以外、一般に販売しているものはすべて著者が押印したエディションナンバー入りですし、エディションなしの余剰分は落丁など不良品があった場合のために極少数部保管しているだけなので、これは珍しい一冊です。<br />
<br />
この一冊が流出した理由は <span style="font-size: xx-small;">よほど飲み代の足しが欲しかったのか? </span>謎ですが、「サイン・エディションなし」は私にとっても貴重なので、余裕ができたら買おうかなぁ。<br />
<br />八木清 YAGI Kiyoshihttp://www.blogger.com/profile/08893463329390224359noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6057343438660729798.post-27389845760920316212013-09-18T00:03:00.002+09:002013-09-18T14:36:40.496+09:00Gelatin Silver Session 2013 - Save The Film -<br />
<h2 class="index-style" style="background-color: #fdfdfd; background-image: url(http://www.gs-s.info/assets/images/index_bg.png); color: white; font-family: 'ヒラギノ明朝 Pro W3', 'Hiragino Mincho Pro', 'MS 明朝', 'MS Mincho', serif; font-size: 1.2em; font-weight: normal; height: 33px; line-height: 1; margin: 0px 0px 2em; padding: 17px 0px 0px 35px; text-align: left;">
Gelatin Silver Session 2013 - Save The Film -</h2>
<div>
<span style="background-color: #fdfdfd; color: #222222; font-family: 'ヒラギノ角ゴ Pro W3', 'Hiragino Kaku Gothic Pro', メイリオ, Meiryo, 'MS Pゴシック', sans-serif; font-size: 14px; line-height: 23px; text-align: left;">今年で7回目となる<a href="http://www.gs-s.info/activity/exhibition/2013/" target="_blank">ゼラチンシルバーセッション</a>に参加します。</span><br />
<span style="background-color: #fdfdfd; color: #222222; font-family: 'ヒラギノ角ゴ Pro W3', 'Hiragino Kaku Gothic Pro', メイリオ, Meiryo, 'MS Pゴシック', sans-serif; font-size: 14px; line-height: 23px; text-align: left;"><br /></span></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgAtLqWE3-tr4Cqo_lif9G9hYPmT5ctjXnD_7Qwt6uP79mHMCgX0A50wxvNayJBqg7kF-L9LZrbs3YFC2re_dwg4-5WCpa315FWUcPIp5AhgcBjG4CeaDMtQzH9_1s6FiaWwLOj0n102dwU/s1600/1236501_417849154986270_1816823520_n.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgAtLqWE3-tr4Cqo_lif9G9hYPmT5ctjXnD_7Qwt6uP79mHMCgX0A50wxvNayJBqg7kF-L9LZrbs3YFC2re_dwg4-5WCpa315FWUcPIp5AhgcBjG4CeaDMtQzH9_1s6FiaWwLOj0n102dwU/s320/1236501_417849154986270_1816823520_n.jpg" width="320" /></a></div>
<div>
<span style="background-color: #fdfdfd; color: #222222; font-family: 'ヒラギノ角ゴ Pro W3', 'Hiragino Kaku Gothic Pro', メイリオ, Meiryo, 'MS Pゴシック', sans-serif; font-size: 14px; line-height: 23px; text-align: left;"><br /></span>
<span style="background-color: #fdfdfd; color: #222222; font-family: 'ヒラギノ角ゴ Pro W3', 'Hiragino Kaku Gothic Pro', メイリオ, Meiryo, 'MS Pゴシック', sans-serif; font-size: 14px; line-height: 23px; text-align: left;">今回のテーマは「未発表作品」。私は「アサバスカン・インディアンのムースハンター」と題して、プラチナパラジウムプリントを2点出展します。</span><span style="color: #222222; font-family: 'ヒラギノ角ゴ Pro W3', 'Hiragino Kaku Gothic Pro', メイリオ, Meiryo, 'MS Pゴシック', sans-serif; font-size: 14px; line-height: 23px; text-align: left;">開催期間中は参加作家によるトークセッションやサイレントオークションもおこなわれます。</span></div>
<div>
<span style="background-color: #fdfdfd; color: #222222; font-family: 'ヒラギノ角ゴ Pro W3', 'Hiragino Kaku Gothic Pro', メイリオ, Meiryo, 'MS Pゴシック', sans-serif; font-size: 14px; line-height: 23px; text-align: left;">東京六本木 AXIS Gallery にて</span><span style="background-color: #fdfdfd; color: #222222; font-family: 'ヒラギノ角ゴ Pro W3', 'Hiragino Kaku Gothic Pro', メイリオ, Meiryo, 'MS Pゴシック', sans-serif; font-size: 14px; line-height: 23px; text-align: left;">10月04日(金) ─ 10月20日(日)まで開催。</span></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgSHL5NWIlYxOBPNcUuANWQbkI2scV_qno7bIkO-V2hq49AfXKuIRvelXm7iJDgnf8esaF740HsCAYBjOTEnVwqx0m7cyJRDNo2Cro4mk7niUGpsS8svGsL2LE8GXN0V7uGTvOnHL6_GLyp/s1600/gogo.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="213" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgSHL5NWIlYxOBPNcUuANWQbkI2scV_qno7bIkO-V2hq49AfXKuIRvelXm7iJDgnf8esaF740HsCAYBjOTEnVwqx0m7cyJRDNo2Cro4mk7niUGpsS8svGsL2LE8GXN0V7uGTvOnHL6_GLyp/s320/gogo.jpg" width="320" /></a></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
※上の写真は、私が去年のトークセッションに参加した際の模様です。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
八木清 YAGI Kiyoshihttp://www.blogger.com/profile/08893463329390224359noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6057343438660729798.post-63719803225784933152013-08-05T02:08:00.000+09:002013-08-05T09:59:53.463+09:00お気に入り 弐<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<img border="0" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgKDOPpSU67JgV9S5l42-8zqzsJNdGaEnUFashx420VXLmT8U0guvRcBE4Fvk9-QgIQqaHdjXjC-fNQ-csIOifbyBWMFFCFVjaWXLmPKt3Fn9RbTgJolmXutQs8S50_v8zMbE8cPaR7zLnv/s200/coltra_john_liveatthe_102b.jpg" width="198" /></div>
<br />
<br />
「My Favourite Things・私のお気に入り」というと、やっぱりジョン・コルトレーン。一枚あげるとすれば、「<a href="http://www.amazon.com/Live-at-Village-Vanguard-Again/dp/B000003N94/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1375634154&sr=8-1&keywords=live+at+village+vanguard+again" target="_blank">Live A The Village Vanguard Again!</a>」。<br />
<br />
もう、遠いむかしのことだが、最初に聴いたときの衝撃は凄いもので、写真のことやら、表現・創作についての根底から大きく揺さぶられ、分野を超えて、力とか勇気を与えられたものだった。<br />
<br />
この頃のコルトレーンのスタイルは、すでにフリー・ジャズだが、爆発力は凄まじいものがある。でも、最初に聴いたときの衝撃というのは、炸裂するようなパワーとかではなくて、「音」自体から受けたように思う。言霊という語があるが、いってみれば「音霊」とでもいうのだろうか?確かに、この時期のコルトレーンの音楽は宗教的な傾向を示しているし、当然、60年代という時代背景・社会背景も影響していると思う。そのためか、フリー・ジャズっていうことに加えて、彼のアルバムのなかでは、一般的には地味な存在かもしれない。<br />
<br />
あまり楽しんだり、くつろいだりできなくても、何かをきっかけに波長が合うと凄いことになるアルバムというのが、ジャズ、ロック、クラシックでも何枚かある。こちらの気持ちが充実した状態でないと、音楽が身体に入ってこないのだ。このアルバムは、そんな典型の一枚なのだが、逆に自分にとっては、そのときその音楽にどれだけ呼応できるかで、精神状態や気持ちの充実度がわかるバロメーターみたいなものになっている。八木清 YAGI Kiyoshihttp://www.blogger.com/profile/08893463329390224359noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6057343438660729798.post-56352444662897474582013-06-25T05:55:00.000+09:002013-06-25T05:56:55.317+09:00存在「ほんとうに自由な哲学の出発点に立とうとする者は、神さえ放棄しなければならない。つまり、それを得ようとする者はそれを失い、それを捨てる者こそそれを見出すであろう、というわけだ。ひとたびすべてを捨て、自分もすべてに捨てられた者、そべてを奪い取られ、はてしなく自分だけを見つめてきた者だけが、自分自身の根拠を究め、生の底の底までを認識したことになる」 F. シェリング<br />
<br />
<br />八木清 YAGI Kiyoshihttp://www.blogger.com/profile/08893463329390224359noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6057343438660729798.post-78907433495658820622013-01-08T02:55:00.000+09:002013-01-08T20:05:37.702+09:00My favourite things 1<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiYN-Hww1Pq4MDdn1qIT65AlYZWjGHT5lazpaTfSgst-8hsHu18nQ1NBTDPCogjnFrrfNZiCavu4M6lNPqehrAJS8ck_9wdNQddVN10EwqP7AYAbyfOXKd8yf2jf8j_w7yYmkZLwiyq3tGe/s1600/images.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiYN-Hww1Pq4MDdn1qIT65AlYZWjGHT5lazpaTfSgst-8hsHu18nQ1NBTDPCogjnFrrfNZiCavu4M6lNPqehrAJS8ck_9wdNQddVN10EwqP7AYAbyfOXKd8yf2jf8j_w7yYmkZLwiyq3tGe/s1600/images.jpg" /></a></div>
<div>
<br /></div>
<div>
<br /></div>
<div>
これまでたくさんの写真集を見てきたが、決して数は多くないが自分自身に決定的な影響を与えてくれたものが何冊かある。そのうちの一冊は Brian Lanker 著の「I Dream a World: Portraits of Black Women Who Changed America」だ。ビジネスから芸術、学術関係などさまざまな分野で活躍するアメリカの黒人女性の肖像を、大判のジナーやハッセルブラッドで撮影したモノクロームの写真集だ。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
1989年頃にでた写真集で、学生時代にたまたま町の書店でこの写真集を見つけた。実は、当時はカラーで写す風景や生物写真しか興味がなかった。モノクローム写真は興味がないどころか、どことなく古臭い感じがして毛嫌いさえしていた(授業ではモノクロフィルムを使わされていたが)。ところが、この写真集を何気なく手にしてパラパラとページをめくると、そのままレジへ直行していた。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
当時の自分にとって、アメリカの黒人文化や人種問題、著者がピューリッツァ賞を受賞した著名な写真家だったことなど、まったく興味もなかったしどうでもよいことだった。ただ、人生までを浮き彫りにした重厚なポートレートに圧倒され、そこに写し出されている女性の美しさに魅了されたのだと思う。モノクローム写真の美しさ、ポートレートという手法の可能性、そして人間の美しさと同時にその存在の不可思議さ・・・このようなことは時間を掛けながら少しずつわかってきたように思う。最初は「この写真集は後々自分にとってとても重要になってくるんじゃないかな?」という予感めいたものだけだった。自分が持つ「嗅覚」だけが本物を見極めるための頼りだった。そもそも、そのときの自分にこの本が必要かどうか、などとその場限りの取捨選択的な目で作品というものを見ていたら、なんて偏狭でつまらないことだろう(写真集は高いし、当然無駄な出費になり得るというリスクもあるが、自腹を切らないと学べないこともあると後に知った)?そして「自分自身」というものさえ、つねに変化してゆくものだ。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
この写真集は、全てひっくるめて当時の自分をいろいろと開眼させてくれたのだったが、それから4〜5年後、まさか自分が写真家を志し、しかもモノクロームで人物を写すことになるとは夢にも思わなかった。この写真集との出会いなくして、いまの自分の撮影スタイルもテーマもなかったかもしれない。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
大学を卒業して撮影助手をしていた時代のこと、あるとき師匠とお酒を飲んでいたときに「ポートレートという手法で真理を追求してゆくことができるのか?」とたずねられた。そしてはっきり「はい。できます」と答えたことを覚えている。そして、いまも孤独な探求を続けている。</div>
八木清 YAGI Kiyoshihttp://www.blogger.com/profile/08893463329390224359noreply@blogger.com