Apr 29, 2011

写真展&写真集


この夏は、写真集出版とふたつの写真展(個展と3人展)を予定しており、それに向けたプラチナプリント制作と写真集制作も、そろそろ佳境にさしかかろうとしている。

写真集の内容は、8x10インチの大型カメラで撮影してプラチナプリントで制作しているテーマであるが、最初はRCペーパーに焼いて印刷の段階でオリジナルのプラチナプリントにイメージを近づけることを考えていた。しかし、結局入稿用にすべての作品をプラチナプリントで制作した。60数点の作品を集中してプリントした時はほんとうに大変だったが、これだけの作品数を集中的に焼くと、プラチナプリントの一筋縄でいかない難しさや奥深さを再認識した。

印刷を考えると、プラチナプリントの特に暗部の再現性や紙目の問題など心配なところもあったが、自分自身の手で制作した納得ゆく作品で入稿したい気持ちもあった。また、一般的に作品保護などの理由でプラチナプリントで入稿する写真集というのは珍しいのではないだろうか。そして先日印刷会社から初稿が上がってきた。これまでにテスト印刷を何度か行ったこともあり、結果は上々だった。だが60数点も作品があるので、なかにはもっと詰めなければいけないものも当然ある。

しかし、初稿を見れば見るほど、スキャニングを含めた今の印刷技術には驚かされる。プリントに写っているものは、あますところなく再現されている。逆に、あまり見えてもらいたくないもの(強調されたくないもの)まで再現されているものもあるので、そういう部分は極力、修正してもらわないといけない。

今回の作品集を作ろうと思い立ってから既に数年を経て、予想以上に時間が掛かってしまった。内容や装丁の変更など紆余曲折はあったが、焦らず時間を掛けただけの内容と質になってきたと思う。そしてまた、ある方との十数年以来になる偶然の再会を切っ掛けに、制作に関わる様々なご協力を得ることもできた。

3言語表記(英語・西グリーンランド語・日本語)の大型本で、イメージサイズはオリジナルプリントの等倍。紙にもこだわり、風合いや手触りは実際のプラチナプリントの印画紙に近いものを使っている。最高のプリンティング・ディレクターの方々にも恵まれた。印刷のクオリティは絶対に落としたくないので、これからが勝負どころである。

Apr 7, 2011

「解釈」と「理解」

だいぶ前のことだが、ある若手New Color 作家が個展を開催した際の雑誌のインタビューで、「自分の作品は、見る人それぞれが各々感じるように感じ取ってもらえればいい」ということを言っていた(この際『New Color』 とかどうでも良いが)。なんだかリベラルっぽくて耳障り良く聞こえるかもしれないが、とてもじゃないが自分にはこんな無責任なことは言えないと思った。

武満徹は「孤独な感情がふれあうところに、音楽が形をあらわす。音楽は決して個のものではなく、また、複数のものでもない。それは、人間の関係の中に在るものであり、奇妙ではあるが、個人がそれを所有することはできない」と言った。この言葉は長らく私の心の内にあり、ほんとうにこれがどういうことなのか、常々考えていた。

あくまで「生命」というものにまっこうから対峙して創作に打ち込んでいる限り、常に変化する対象に対峙しているのであり、そもそも自分自身も生命そのものなのだ。命あるものは死ぬまで変化、変容し続ける(肉体的にも精神的にも)。そう考えると、作品というものが自分の変化・成長の過程で生まれる分身とも思え、同時に愛おしさを感じる。でもその反面、変化の過程ではがれ落ちる単なる「垢」なのかもしれないと思うこともある。両者の共通点を現代風に言えば、DNA らしきものが含まれている点か?であればこそ、やはり自分の作品に対してどこかで「責任」というものを感じるし、他人にどう受け取ってもらっても良い、とはどうしても思えない。だからこそ、自分の撮影テーマに関するリサーチや裏付けというものは、徹底的にしなければならないと思っている。

ある「作品」に対して「解釈する」という言い方がされるが、そもそも「解釈する」ということが他人のために発せられるものならば、「理解する」ということは自分のためであると思う。私は撮影をとおして見る世界を自分なりに必死で理解しようとしているが、どうしても理解することができない。ましてや「解釈」するなんて領域には、とてもではないが到達できない。その意味で作品を発表するということは、何かの途上にある自分自身をさらけ出しているとしか言いようがないかもしれない。その姿をとおして、自分が惹かれる世界や「有り様」というものを訴えようとしているのだろうか。

考えてみれば、音楽でも文学でも媒体は違っても、私自身が惹かれる作品の根源には、その作品に滲み出ている作家の生き様にある。だからこそ、優れた作品には分野を超えて共鳴することができるのだと思う。