Mar 15, 2018

忘れられてなどいない本たち

Forgotten Books?? エスキモーや極地探検にかんした古い文献をネット上で探していたら、こんなサイトを見つけた。ここから出版された印刷版は amazon.com などで注文できるが、直接サイトで登録すればなんと1ヶ月たった $8.99 でPDF版をダウンロードし放題だそうだ。ここには 945,609冊分にもおよぶ様々な分野の文献がある(全部読むとしたら、人生何回分が必要だろうか?)。

「歴史とは何年に、誰が、何をしたか、ということを学ぶのではなく、そのとき人々が何を感じ、何を思ったのかを考えることだ」と思想家の西尾幹二氏は言った。人間社会や文化において、まだまだ多くの謎や未知なる領域が残されていた時代に出版された本を読んでいると、まさに氏の言わんとすることが響いてくる。

私が読みたいと思う大抵の極地関連の本は、図書館で借りるか、ネット上で(多くの場合高額な)古書を買うかしかなかったが、このサイトで見つかれば格安で読むことができる。遅まきながらこのサイトの発見には欣喜雀躍の思いがした。






Jul 11, 2017

Birds in the Hand 2017.7.13 (Thu) - 9.1 (Fri) at PGI in Tokyo

Birds in the Hand 2017.7.13 (Thu) - 9.1 (Fri) at PGI in Tokyo


Grus canadensis: sandhill crane. カナダヅル

PGI にて7月13日から9月1日まで。

Jan 17, 2017

「クマの子殺し」から思ったこと・・

先日、あるテレビ番組で日本のツキノワグマを追っている動物カメラマンがとらえた貴重な生態の映像が紹介されていた。子グマを育てるメスのクマの姿が特に印象的だったが、そのなかで発情期に入ったオスクマによる子殺しの場面があった。ナレーションでは「ツキノワグマでは初めて確認された行動」とあり、今まで未確認だったことが意外で驚いた。何故ならば、ヒグマやシロクマではすでに知られた行動であったからだ。だからツキノワグマでも多分あり得る生態と思っていたのだが、やはりその場面を確認するには相当な努力が必要なのだろう。山岳地帯の多い日本の地形を考えれば、その観察の困難さもうかがい知れる。

話が少しズレるが、そこでふと思い出したのが、何年も前に日本のある報道写真雑誌で、一頭のシロクマが若い個体のシロクマの頭部を口にくわえたかなりエグくて衝撃的なカラー写真が掲載されていたことだった。海外のカメラマンがとらえた写真だったが、なんとその写真のキャプションの内容は「温暖化現象により氷が減少してアザラシなどを捕まえることができなくなったために、シロクマが共食いを始めた・・・」というものだったのだ。

人が何かを表現すると少なからずバイアスというものがかかってしまうものだが、温暖化現象に強引に結びつけてよりセンセーショナルな ”事件” に作り上げようとするこのカメラマン(あるいは編集者)の明け透けな意図と短絡さに呆れかえってしまったものだった。もしあらかじめシロクマの生態を少しでも調べていたら、こんな恣意的なキャプションは書けなかったのではないだろうか。ほんのわずかの言葉の誤謬が、その写真の価値を台無しにしてしまう恐ろしさも感じたものだった。

自然観察では、仮説を立てることと憶測を述べることは別物なのだ。「不確かなこと」をさも事実のことのように書くことは危険極まりない。上記の記事を読んだ読者のなかには「シロクマは環境の変化により共食いをするようになった(本来は共食いはしない動物)」と捉える者が少なからずいたであろう。

あくまで「根拠がないもの」や「不確かなこと」は最初から書いてはならないのだ。このことは自然科学にかぎらず、社会問題や社会科学に関連した出来事を伝えることにも言えることではないだろうか。最近ネット上で話題となっている大手メディアによる「捏造」とも繋がっているだろう。そういう意味においても、結局は一人一人の受け手が情報をよくよく吟味することが大切なのだと思う。


Aug 31, 2016

八月の終わり

いつのまにか八月も終わりに近づき、秋の足音が聞こえてくる季節となった。

この時季になると、親友からの古い手紙に書き添えられていたヘッセの詩が思い起こされる。




もう諦めていたのに、夏はもう一度力をとりもどした。
夏は、だんだん短くなる日に凝り固まったように輝く、
雲もなく焼きつく太陽を誇り顔に。
このように人の一生の努力の終わりに、失望してもう引っ込んでしまってから、
もう一度いきなり大波に身をまかせ、一生の残りを賭して見ることがあろう。
はかない恋に身をこがすにせよ、遅まきの仕事にとりかかるにせよ、
彼の行いと欲望の中に、終わりについての
秋のように澄んだ深い悟りがひびく。

                                                                                                                      Ende August

Aug 2, 2016

プラチナ・パラジウムプリントを作る・・ということ。

プラチナ・パラジウムプリントは感光液を紙に塗布して、印画紙を自分で作るところから始めなければならない。つまり既製品の印画紙を使うわけではないので、まずは基準となるもの(自分の中心点)を見出して、安定した結果を長期的に出していかなければならない。とても地味なことだが、これができていないと長期的なテーマで撮影に取り組んだりするとプリント制作時期によってバラバラな仕上がりになってしまい、全体として見たときにまとまりがつかなくなってくる。「職人技」という言葉があるが、それはいかに作品のバラつきをなくするかの技術のようにさえ思えてくる。本当の表現は、そのことが出来てからの話なのではないだろうか?「偶然性に賭け続けるには、あまりに人間(作家)は弱い存在」だと思うのである。

プラチナ・パラジウムプリントで使う支持体(紙)は仕上がりに影響するたいせつな要因のひとつで、生産ロットによるばらつきや不安定な供給で、これまで20数年のあいだに何度も泣かされてきた。昨年末以来、数種類の新しい紙がでてきたので試しているが、なかなか良い結果が出てきている。しかし、嘗てあった「PLATINOTYPE」という紙には及ばないかもしれない。写真に写っているものがひとつひとつ立ち上がってくるようなあの立体感はあの紙でしか表現できなく、他の紙と比べると別次元のものだったように感じる。ただし、雁皮紙はまた別の次元で素晴らしい結果を出せる紙だと思う。紙の大きさやコストを別とすれば・・。

プラチナプリントを始めたばかりの頃は毎回毎回、「もうこれ以上できないようなプリントを作ろう」と意気込んでいたが、ここまで書いたとおり、山あり谷ありのプラチナプリント制作。おまけに、自分自身のモノクローム写真を見る眼や価値判断だって常に変化していくものだ。

結局は、作る側にとっては「その時々に最善を尽くして作品制作に取り組むしかない」という認識と、見る側には「人間はつねにコスモスとカオスのあいだを揺れ動くもの」というおおらかな認識が必要、ということでもある・・と思う。


May 7, 2016

『ものをみる - Take In』 May 10 - June 2, 2016 at PGI Tokyo.

PGI にて開催する企画展『ものをみる - Take In』にプラチナプリントを出品します。
グリーンランドにて8x10インチカメラで撮影した静物です。5月10日から6月2日まで。



 

Nov 17, 2015

『生誕100年 写真家・濱谷浩 』展を見て

先日、世田谷美術館で開催されていた『生誕100年 写真家・濱谷浩 』展を見に行った。どんよりとした肌寒い平日だったが、思いのほか来場者が多かった。

展覧会は、1930年代の東京のスナップからはじまり、作品集『雪国』としてまとめられた1940年代の豪雪地帯の新潟の暮らし、そして日本海側の暮らしを写した『裏日本』、安保闘争、各界の著名人を撮影した『學藝諸家』と続いた。濱谷氏といえば『雪国』と『裏日本』は特に有名で、『裏日本』の初版本は結構な値がしたが私も手元に持っている。

濱谷浩氏といえば、キャパやカルティエ=ブレッソン、『LIFE』誌などで代表されるフォトジャーナリズム全盛期を生きた人だ。同時に、世界中で社会や文化がかなり大きく変化した(失われていった)時代でもあったと思う。

写真展を見ていて、ひとつ気になったことがあった。解説では、安保闘争や当時の政治家たちの決断から人間(日本人)に対して幻滅し、撮影対象を国内外の自然風景へと移していったとあった。氏の風景写真についての文章をしっかりと読んだことがないので、あまり述べることはできないのだが、はたして人間(日本人)に幻滅したからと対象を自然に変えたところで、根本的な問題からは決して自分自身を誤魔化すことはできなかったのではなかろうか?その問題とは、氏自身も人間であり日本人である、という矛盾だ。そんなことは当然、氏もわかっていたことであろうが・・。

1964年に出版された『日本列島』という風景写真集の冒頭には、「人間は いつか 自然を見つめるときがあっていい」という言葉がある。いまの私の解釈では、この言葉からは人間との闘争からの疲弊感のようなものが感じられる。だが、それは他者との闘争であったと同時に、自分との闘争なのだったと思う。”ほんものの仕事” をする写真家にとっては、人間を撮影しようが自然を撮影しようが、結局は政治的イデオロギーなどをはるかに超えた自分との闘争を心の闇のなかに引きずっていくほかないのではないか(私自身、そういった自然写真家たちを知っている)。鋭い感性と洞察力の持ち主というものは、あらゆる世界や自己の矛盾を否応にも察知してしまうからだ。これは創作に関わる一部の者の宿命としか言いようがないことだと思う。

写真展を見ながらそんな想いがして、贅沢な不満ではあるが、できれば濱谷氏のその後の風景写真も展示の流れのなかで見てみたかった。その流れのなかでこそ、氏がどのように自分自身の葛藤を克服あるいは受け入れるようになっていったか(あくまで「葛藤」を持っていたらの話だが・・)、それによって世界観がどのように変化していったのか、また日本人として日本をどのように見つめ返したのかを感じてみたかった。また、もしも人間と自然の関係は決して断ち切ることはできないということを撮影をとおして経験的に悟ったのであれば、それを示すのも写真家としての仕事だと思うのである。そう思うのは、私が高校生の頃に出会った、カナダで国立公園の制定にかんした仕事をされていたある日本人の理学博士の言葉が想起されてくるからだ。

「自然を愛するとは、そこに暮らす人々を愛することでもある」