Aug 5, 2013

お気に入り 弐



「My Favourite Things・私のお気に入り」というと、やっぱりジョン・コルトレーン。一枚あげるとすれば、「Live A The Village Vanguard Again!」。

もう、遠いむかしのことだが、最初に聴いたときの衝撃は凄いもので、写真のことやら、表現・創作についての根底から大きく揺さぶられ、分野を超えて、力とか勇気を与えられたものだった。

この頃のコルトレーンのスタイルは、すでにフリー・ジャズだが、爆発力は凄まじいものがある。でも、最初に聴いたときの衝撃というのは、炸裂するようなパワーとかではなくて、「音」自体から受けたように思う。言霊という語があるが、いってみれば「音霊」とでもいうのだろうか?確かに、この時期のコルトレーンの音楽は宗教的な傾向を示しているし、当然、60年代という時代背景・社会背景も影響していると思う。そのためか、フリー・ジャズっていうことに加えて、彼のアルバムのなかでは、一般的には地味な存在かもしれない。

あまり楽しんだり、くつろいだりできなくても、何かをきっかけに波長が合うと凄いことになるアルバムというのが、ジャズ、ロック、クラシックでも何枚かある。こちらの気持ちが充実した状態でないと、音楽が身体に入ってこないのだ。このアルバムは、そんな典型の一枚なのだが、逆に自分にとっては、そのときその音楽にどれだけ呼応できるかで、精神状態や気持ちの充実度がわかるバロメーターみたいなものになっている。

Jun 25, 2013

存在

「ほんとうに自由な哲学の出発点に立とうとする者は、神さえ放棄しなければならない。つまり、それを得ようとする者はそれを失い、それを捨てる者こそそれを見出すであろう、というわけだ。ひとたびすべてを捨て、自分もすべてに捨てられた者、そべてを奪い取られ、はてしなく自分だけを見つめてきた者だけが、自分自身の根拠を究め、生の底の底までを認識したことになる」 F. シェリング


Jan 8, 2013

My favourite things 1




これまでたくさんの写真集を見てきたが、決して数は多くないが自分自身に決定的な影響を与えてくれたものが何冊かある。そのうちの一冊は Brian Lanker 著の「I Dream a World: Portraits of Black Women Who Changed America」だ。ビジネスから芸術、学術関係などさまざまな分野で活躍するアメリカの黒人女性の肖像を、大判のジナーやハッセルブラッドで撮影したモノクロームの写真集だ。

1989年頃にでた写真集で、学生時代にたまたま町の書店でこの写真集を見つけた。実は、当時はカラーで写す風景や生物写真しか興味がなかった。モノクローム写真は興味がないどころか、どことなく古臭い感じがして毛嫌いさえしていた(授業ではモノクロフィルムを使わされていたが)。ところが、この写真集を何気なく手にしてパラパラとページをめくると、そのままレジへ直行していた。

当時の自分にとって、アメリカの黒人文化や人種問題、著者がピューリッツァ賞を受賞した著名な写真家だったことなど、まったく興味もなかったしどうでもよいことだった。ただ、人生までを浮き彫りにした重厚なポートレートに圧倒され、そこに写し出されている女性の美しさに魅了されたのだと思う。モノクローム写真の美しさ、ポートレートという手法の可能性、そして人間の美しさと同時にその存在の不可思議さ・・・このようなことは時間を掛けながら少しずつわかってきたように思う。最初は「この写真集は後々自分にとってとても重要になってくるんじゃないかな?」という予感めいたものだけだった。自分が持つ「嗅覚」だけが本物を見極めるための頼りだった。そもそも、そのときの自分にこの本が必要かどうか、などとその場限りの取捨選択的な目で作品というものを見ていたら、なんて偏狭でつまらないことだろう(写真集は高いし、当然無駄な出費になり得るというリスクもあるが、自腹を切らないと学べないこともあると後に知った)?そして「自分自身」というものさえ、つねに変化してゆくものだ。

この写真集は、全てひっくるめて当時の自分をいろいろと開眼させてくれたのだったが、それから4〜5年後、まさか自分が写真家を志し、しかもモノクロームで人物を写すことになるとは夢にも思わなかった。この写真集との出会いなくして、いまの自分の撮影スタイルもテーマもなかったかもしれない。

大学を卒業して撮影助手をしていた時代のこと、あるとき師匠とお酒を飲んでいたときに「ポートレートという手法で真理を追求してゆくことができるのか?」とたずねられた。そしてはっきり「はい。できます」と答えたことを覚えている。そして、いまも孤独な探求を続けている。

Dec 17, 2012

ある日のメモ書き プラスα

福沢諭吉は、現在使われている「権利」という語を「権理」と書いていたそうだ(「権利」は西周が「Right」を訳したもの)。「理(ことわり)」は物事の筋道だが、「利」は今の感覚からするといかにも利益を思わせる。

福沢諭吉の言った「通義」とは、当時の日本全国に通じる正しさの基準というものがあり、それが物事の判断の出発点になると考えたのではないだろうか。通義によって理をはかり、はじめて人々は物事を自由に行える・・・。ある程度の文化や歴史認識を共有しているからこそ成り立つ考えだろうが、個の尊重をはき違えた時代と比べると明治期の人々は道理を非常にわきまえていたと言える。

民主主義は多数決でものごとを決めるが、もしも多数派による判断が間違っていたらどうするのか?多数派だろうが少数派だろうが、耳を傾けなければならない通義があるはず。単に投票で決めることと、通義を踏まえて(議論・対話して)決めることは大きく異なってくる。当然、このなかには戦後の日本に根付いた(植え付けられた)実に様々なタブーも含まれているだろう。





顔と顔を合わせて向き合って議論していくことは、場合によっては心の痛みを伴うこともあるだろう。でも、声色、会話と会話のあいだの沈黙、相手の視線や微妙な表情など、言葉以外のものが空間を通じて伝わり、以心伝心となり、はじめて心に通じてくることもある。

インターネットは現代の新しい出会の場であるという人がいるが、それならば同時に新種の「手軽な決別の場」でもあるだろう。相手の主義主張が気に喰わなかったり、ほんの些細なすれちがいを切っ掛けにダイアローグ(対話)を築く以前に、相手の顔も見ないでいとも簡単に関係を断ち切ることができるのだ。ネットによって「出会い」のスピード感が上がっただけのことだったら、なんとも味気ない。しかも「別れ」のスピード感も上がっていたとしたら、人との関係に対して意識が希薄になったということか。

人間は間違いを犯し得る。善意に基づいたとしても間違い得る。人間は永遠に不完全なもの。

Dec 13, 2012

ある日のメモ書きから・・


四つの「死ぬ恐怖」
・近親者の別れ
・痛覚
・財産権放棄
・不条理感


最初の三つは克服できる人がいるかもしれないが、言語をあやつる人間の場合「不条理感」は解けない。言語で掛けた魔法を言語で解くことはできない。そのときはじめて救いは「自然」や「芸術」であるはず(どうも「芸術」という言葉に胡散臭さを感じて抵抗感があるのだが・・)。

Dec 8, 2012

夢と現実

「夢か現か(ユメカウツツカ)」などと言うが、古代エジプトでは夢がほんとうの世界だと考えられていたと、どこかで聞いた覚えがある。

なにが「ほんとう」とか「真実」とか、実証することなどそもそも不可能だが(理論的には)、「夢」とか「現実」という、いま自分がどちらの世界にあるのかという問いも、実はとても難しい問題のようだ。

ただ現実の世界においては、一見動かし難く思える秩序をも疑うことができ、必要とあらばそれを確認できる可能性が秘められている。そして「生きる」ということは、そのために命を使うということに繋がっていると思う。

長年写真に取り組んでいると「夢を追い続ける人」などと言われることがある。当然この場合の「夢」は「願い」のことであろうが、いつもこの言葉が孕むナイーブな響きに違和感を感じてしまう。何故なら、創作とは身体を張って真っ正面から現実世界に向かい合い、森羅万象の一片でもしっかりと見極めることでもあるから。

「夢に生きる、夢追い人」のような生き方もどこかにあろうが、現実世界のもうひとつの「現実」は、命にはタイムリミットがあるということだ。

Sep 23, 2012

Gelatin Silver Session 2012 - SAVE THE FILM




10月1日から17日まで東京六本木のAXIS Galleryで開催されるゼラチンシルバーセッションに作品を出展します。

出展するのは、16x20インチの拡大ネガから制作した大判のプラチナパラジウムプリントです。作品は「伝統衣装を着たユピック・エスキモーの女性」。今回は、最近主流のインクジェットプリンターで出力するデジタル拡大ネガではなく、あえて超大判の銀塩フィルムで拡大ネガを作りプリントしました。拡大ネガの制作は田村写真の田村政実氏。結果として、非常に柔らかで繊細な毛皮や肌のディテールを再現できたと思います。

8x10インチの大型カメラで撮影したネガには、コンタクトプリントでは描写しきれない情報がつまっており、より大きなプリントを作ることでこれまで見えていなかった細部を表現することができます。これまでもデジタル拡大ネガからのプリント制作はおこなってきましたが、特に繊細さが要求されるポートレートには銀塩フィルムからの拡大ネガが適しているように思います。フィルム生産が続く限り、アナログ拡大ネガからのプラチナパラジムプリント制作をひとつの柱として取り組んでいこうと思っています。

また、期間中の10月13日におこなわれるトークセッションにも参加します。