「写真」というものが、これほど人の心にとって大切なものだったと、今まで考えも及ばなかった面から悲しいほどに認識させられた。
何年も前に私自身が両親を亡くしてから、確かに写真に対して人が潜在的に抱く「思い」があり、それは「作品」として仕立てられた写真などとはまったく別物であると、何となく感じていはいた。
「作品」と呼ばれる写真の、何と空虚なことか(事実、この場に及んでは何て浅はかに聞こえることか)。でも、時代を超えて語られる写真があることは確かなのだ。そういうものは、「作品」という領域を越えているのかもしれない。そもそも、作品って何だ?
泥だらけのアルバムのほとんどは、決して作品として撮られたものではないだろう。でも、実際にはその変哲もない写真たちは、命や魂に関わる領域のものなのだ。