Oct 28, 2011

Cultural Nerve Gas


原野に暮らす北米の先住民たちも、日々テレビやラジオのある暮らしを営み、様々な情報を得ている(今では当然インターネットもある)。
比較的大きなコミュニティーであればローカル局があったりして、ちょっとした番組やニュースを制作して放送しているが、大抵の番組は都市部の大きな放送局が制作したものだ。アラスカの広大な原野にかこまれた寒村でも、フェアバンクスやアンカレッジと同じように朝っぱらから「The Price Is Right」を放送していて、お下品な絶叫や歓喜の声が鳴り響いてくる。かと言って、くだらない放送ばかりではないし、彼らにテレビを見て欲しくないと言っているわけでもない。

自分の普段の暮らしのなかで、時おり学生時代の言語学の教授が言っていた言葉を思い出すことがある。テレビやラジオは「Cultural Nerve Gas (文化的神経(毒)ガス)」になり得るのだと。
アラスカやカナダの英語圏に暮らす先住民たちが、英語でのテレビやラジオ番組に触れることで、自覚症状がないままに更に英語中心の生活になり、母語を忘れ去って行ってしまうというのだ(アラスカ先住民の言語の問題は「消えゆく言語」でも書いた)。

彼の意見に対して色々に考える人はいると思う。ナショナル・ジオグラフィック誌などに何度も寄稿したことがある、とあるアラスカの著名な女流ジャーナリストは、この言語学者のことを「彼は我々に石器時代へ帰れと言っているようなものだ」と痛烈に批判し嫌悪していた(このジャーナリストの授業も受講していたが・・・)。だがこの言語学者はテレビを一方的に否定しているわけではなく、当然メディアの有用性も認識している。先住民自身の放送局を持ち、母語での番組を放送することでコトバを強化していくことができると(しかし、このようなことを真剣に考えなければいけないほど、彼らの言語は風前の灯火なのである)。

この話しはさておき、情報にあふれ返る自分の普段の生活のなかでも「Cultural Nerve Gas(文化的神経(毒)ガス)」はいたるところに蔓延しているように思う。
最近、日本のメディアや広告代理店がゴリ押しするナントカ流に対する反発に対して、どこかのタレントが「イヤならテレビを見なきゃいい」などと言ったらしいが、視聴者などから拒否反応が出ている状態ならまだ良い方なのかもしれない。

本当の神経(毒)ガスというものは、自覚症状がないのだ。

アラスカなどの先住民の言語のように今まで当たり前に存在していたものが、ある日気がついたら失われていた(或は変質していた)、ということもあり得るのだから。