Dec 25, 2010

Season's Greetings

「笑顔で、鼻歌まじりくらいの気持ちで歩んでいく・・・」

今年、撮影をとおして出会ったイニュッホイ(グリーンランドのポーラー・エスキモー)の腕利きの猟師から学んだことだった。

「今まで大きな獲物を逃して悔しい思いをしたことはあるか?」

ある日、彼にそんな質問をしたことがあった。
その問いに対して、彼はしばらく腕組みをして真剣に考えたあと「そんなことは感じたことも、思ったこともない。そもそも獲物なんてものは、獲れて儲けものだ」と答えたのだった。その時、なんて愚かな質問をしたことかと後悔したものだった。狩猟とは天候や運など様々な要因が複雑にからみ合い、個人の技術や努力だけで報われるものではないのだ。そして、何と言う謙虚さ、潔さか・・・。やはり、環境は人も育むのだと再認識したのだった。

そして、そんな彼の日常には笑顔や鼻歌が絶えなかった。極地の厳しい風雪に晒されてきた彼の精神は、鋼のように冷徹で強固なのではなく、ツンドラの荒野に生える新緑を湛えたしなやかなヤナギのようだった。
(写真はアッパリアス『ヒメウミスズメ』の群)

Dec 17, 2010

気に留めておきたい言葉。


Technique comes from practice and discipline, but quality comes from understanding. W. Marsalis

Oct 10, 2010

Diapason Decouverte賞


このブログでも紹介した、弦楽器製作家・演奏家であるD. バディアロフの無伴奏チェロのCDが、フランスにおいてDiapason Decouverte 賞を受賞したそうです。11月発売のフランスの音楽雑誌「ディアパソン誌」で発表されるそうです。おめでとうございます。

Simple, but powerful words by the Inuit sharman from the early 20th century..


"All true wisdom is only to be found far from the dwellings of men, in the great solitudes; and it can be attained through suffering. Suffering and privation are the only things that can open the mind of man to that which is hidden from his fellows" IGJUGARJUK, of Caribou Eskimos.

Oct 4, 2010

The appaliarsuk catcher of Greenalnd


The appaliarsuk catcher with his ippoq. Appaliarsuk or little auk is a vital part of Polar Eskimos' diet. Whenever I meet hunters of the far north, I feel humble. Any toils artists face seem to be trifling compared to the tough reality of the subsistence life.

Aug 23, 2010

グループ展 『SPACE』

東京芝浦のフォトギャラリーインターナショナルにて開催するグループ展『SPACE』に、プラチナプリントを出展します。9月2日から10月23日まで開催。

Jun 10, 2010

SEIKO PROSPEX FIELD MASTER(プロスペックス・フィールドマスター) メカニカル限定モデル


セイコーウォッチ社の新しい機械式腕時計シリーズ PROSPEX FIELD MASTER (プロスペックス・フィールドマスター) が7月から発売開始されます。それを記念した限定モデル (SBDC015) のデザインアドバイザーとして開発に参加させて頂きました。

プロスペックス・フィールドマスターでは、本格ダイバーズウォッチであるマリーンマスタープロフェッショナルでも使われている外胴プロテクターを採用し、対衝撃性を向上しています。また、ベゼル外縁はプラチナをイメージしたピンクゴールド仕様です。

セイコーウォッチホームページ上で、コラボレーションモデルのコラムページが開設される予定です。7月9日発売。

コラムページはこちら

Jun 8, 2010

ユピックに伝わる話

 あるユピックエスキモーの老婆からイキチンガーク(ircenrraq)という地底に住む小人の話を聞いたことがある。
 まだ彼女が子供のころ、人々は流木などを組んだ骨組みを芝土で被った昔ながらの家に暮らしていた。家の入り口から居間までは、狭く暗い通路でつながっていた。そこはイキチンガークの隠れ家でもあったらしい。
 あるとき、寒い土の家の中で焚く炭が切れてしまい、家の者がその事を嘆くと、「ほら、ここに炭があるよ」と言って、暗い通路から炭が投げてよこされた。またあるときに、家の者が「ヤカンがないな」と言うと「ほら、ヤカンだよ」と言って暗闇からヤカンが投げてよこされたという。いずれもイキチンガークの仕業だったらしい。
 彼女にイキチンガークを見たことがあるのかと聞くと、彼女は首を横に振った。「でもその昔、たくさんの人々がイキチンガークを見ていたのよ」。そう言う彼女の目は真剣そのもので、冗談を装った気配など一切感じられなかった。
 イキチンガークの話は他のユピック・エスキモーの村でも聞いたことがあった。トゥヌナックと言う村では、ツンドラのうえでカヤックをこぐイキチンガークを幼い頃に目撃したというマーサという名の老婆に出会った。
 それは青いパドルを持っていて、カヤックはアザラシの皮で作られていたことを、彼女ははっきりと覚えていた。イキチンガークがパドルを一漕ぎすると、カヤックがスッとツンドラの上を進み、もう一漕ぎすると、もう少し長い距離をスーッと進んだという。しかし、イキチンガークが乗ったカヤックがツンドラに流れる小川に差し掛かったとき、一瞬にしてその姿は消えてしまったらしい。
 彼らの言い伝えによると、その昔、ユピックとイキチンガークは、ともに暮らしていたのだが、あるとき人間の飼い犬がイキチンガークの子供を食い殺してしまい、激怒した親のイキチンガークは小さい身体にも関わらず、子供を殺した犬を引き裂いてしまった。それ以来、イキチンガークは人々の前から姿を消したのだそうだ。
 「その昔、私たちはイキチンガークの存在を信じていた。だから彼らの姿を見ることができたけど、もうそれを信じる人はいなくなってきている」。マーサは最後にこう語った。

※ 写真はマーサ。1995年アラスカのネルソン島 Tununak村にて撮影。
※ ユピックに伝わる半人半獣の面もircenrraqと呼ばれる。

May 23, 2010

bite!magazine

Uploaded on bite!mgazine website.


bite!magazine にて作品が掲載されています。


http://www.bitemagazine.net/2010/05/22/hunters-of-the-far-north/

Feb 2, 2010

Some mighty words by Najagneq, the Yupik shaman.


Excerpts from Across Arctic America: Narrative of the Fifth Thule Expedition. Conversation between Knud Rasmussen and Najagneq, the Yupik shaman from Nunivak Island, in Nome Alaska in 1924.

* R=Rasmussen. N=Najagneq

R. "What does man consist of?"

N. "Of the body; that which you see; the name, which is inherited from one dead; and then of something more, a mysterious power that we call yutir - to all that lives."

R. "What do you think of the way men live?"

N. "They live brokenly, mingling all things together; weakly, because they cannot do one thing at a time. A great hunter must not be a great lover of women. But no one can help it. Animals are as unfathomable in their nature; and it behooves us who live on them to act with care. But men bolster themselves up with amulets and become solitary in their lack of power. In any village there must be as many different amulets as possible. Uniformity divides the forces; equality makes for worthlessness."

R. "How did you learn all this?"

N. "I have searched in the darkness, being silent in the great lonely stillness of the dark. So I became an angakoq (shaman), through visions and dreams and encounters with flying spirits. In our forefathers' day, the angakoqs were solitary men; but now, they are all priests or doctors, weather prophets or conjurers producing game, or clever merchants, selling their skill for pay. The ancients devoted their lives to maintaining the balance of the universe; to great things, immense, unfathomable things"

R. "Do you believe in any of these powers yourself?"

N. "Yes; a power that we call Sila, which is not to be explained in simple words. A great spirit, supporting the world and the weather and all life on earth, a spirit so mighty that his utterance to mankind is not through common words, but by storm and snow and rain and the fury of the sea; all the forces of nature that men fear. But he has also another way of utterance, by sunlight, and calm of the sea, and little children innocently at play, themselves understanding nothing. Children hear a soft and gentle voice, almost like that of a woman. It comes to them in a mysterious way, but so gently that they are not afraid; they only hear that some danger threatens. And the children mention it as it were casually when they come home, and it is then the business of the angakoq to take such measures as shall guard against the peril. When all is well, Sila sends no message to mankind, but withdraws into his own endless nothingness, apart. So he remains as long as men do not abuse life, but act with reverence towards their daily food."
"No one has seen Sila; his place of being is a mystery, in that he is at once among us and unspeakably far away."

※ Picture from the official record of the Fifth Thule Expedition.

Jan 7, 2010

消えゆく言語


アラスカにはエスキモー・アリュート言語を話す民族と、所謂インディアンと呼ばれる民族を合わせると、19の先住民が暮している。すなわち、19種類の異なる言語が存在しているということでもある(方言は除く)。アラスカという限られた地域にこれだけ多くの異なる民族が暮らすのは、アラスカはユーラシア大陸からモンゴロイドが移動してきた際の玄関口だった証でもあると言われている。 しかし現在、アメリカの同化政策によって英語が主流となり、いずれの言語も存命が危ぶまれている。なかでも人口20人たらずのエヤック(Eyak)というインディアンの言葉を話せた最後の人物、マリー・スミス・ジョーンズ(Marie Smith Jones 写真の女性。私が90年代に撮影した)が2008年に亡くなったことで、アラスカの有史において(すなわち1741年ベーリングによってアラスカが『発見』された以降から現在に至る歴史において)最初に消滅したアラスカ先住民の言語となった。

十数年前、私はアラスカのフェアバンクスという町の学生だったが、言語学の授業でエヤックを含めたアラスカ先住民の言語が置かれている現状を知った。その時の教授がマイケル・クラウス博士(Michael E. Krauss)という当時アラスカ先住民言語研究所の所長であり、言語学の分野においても非常に重要な人物だったが、博士はエヤック語のスペシャリストでもあった。彼とマリー・スミス、そしてマリーの姉である故アンナ・ネルソン・ハリー(Anna Nelson Harry)らの努力によって、エヤック語が消えるギリギリの段階で言葉を記録することができた。言葉とは本来、学校で教わって身に付くようなものではなく、親がその言葉で子供を育てることによってはじめて生きた形で受け繋がれていくものだが、その時エヤック語の現状はもはや風前の灯火となっていた。しかし、ヘブライ語がそうであったように、記録をとっておくことで将来再び先住民の言葉が復活するかもしれないという希望を抱いている言語学者がいることは、私にとって驚異的な事実であった。

私は何度かマリーに会って様々な話を聞いたことがあったが(会話は英語)、自分が最後の語り部であることを彼女は非常に重く、悲しく受け止めていた。別れ際にエヤック語で物語を一つ聞かせてもらったが、それは非常に不思議な体験で、まるで時間が止まって逆流しはじめたような感覚に陥ったことを鮮明に覚えている。エスキモーやインディアンの言葉を聞くと、まるで風の音や鳥の鳴き声のような自然界の一部であるように感じるが、それは人間が持つ言葉の美しさを感じる一面でもある。

エヤックの領土は、90年代はじめにエクソンのタンカー座礁による原油流出事故の現場となったプリンス・ウイリアム湾の東に位置しており、周囲はアルーティック、アトナ・インディアン、クリンギット・インディアンといった大きな勢力に取り囲まれている。しかし不思議なことは、地理的にそれだけの異民族に取り囲まれているのに、エヤック語はそれらの言語の影響をあまり受けておらず、むしろ遥か南のアメリカ本土に暮すナバホ・インディアンの言語に近い。長い年月のあいだエヤック語が、周囲の民族の影響を受けずにどうして存続してきたのか、これは現在の言語学者が抱える大きな謎となっている。

ついでだが、アラスカ先住民言語におけるもうひとつの謎は、ハイダとツィムシアン・インディアンの言語(ともにトーテムポールで有名な民族)。この二つの言語は他言語から完全に孤立しており、いったいどこから来た民族であり言語であるのかまったくの謎とされている(ハイダに関してはアサバスカン諸言語、エヤック語、クリンギット語と繋がっていると推測する学者もいるようだが)。

エスキモーの言葉もふくめ、北米先住民の多くの言語はある年齢以上の世代でないと話せなくなってきている。その世代が消えれば、それとともに彼らの言語も消えることになる。言語学では、ひとつの言葉は約1000年経つと相互理解できないほどに自然と変化すると言われているが、人為的に消そうと思えば半世紀ほどの徹底的な沈黙を保てば、驚くほど簡単にできてしまうのだ。