「ザ・JPADS・フォトグラフィー・ショー クリスマス・フォト・フェア」に作品を出展します。南麻布のインスタイル・フォトグラフィー・センターにて12月20日(火)から 25日(日)まで開催。
Dec 16, 2011
Dec 8, 2011
拡大ネガからの大判プラチナプリント
PGI の西丸氏に協力していただき、8x10 のネガからデジタル拡大ネガを起こしてプラチナプリントを制作していただいた(写真手前は撮影者が制作した8x10サイズのプラチナプリント)。8x10 のネガから拡大ネガを作ったのだから当然ではあるが、大きなサイズのプリントにしても瓦礫の砂までもが数えられるほどだし迫力がある。
厳選した作品をこのような大きなプリントにすれば、今後の写真展で展示作品のなかにアクセントをつけることができるだろう。でもそのまえに大きなプラチナプリントを制作できる環境を整えなければ・・。
Nov 9, 2011
Scriabin - Etude op. 42 no. 5 C sharp minor - Neuhaus
スクリャービンはソナタや交響曲も良いが、小品が素晴らしい。しかし、彼の作曲したエチュードは「練習曲」と呼ぶには勿体ないくらい美しい。
Oct 28, 2011
Cultural Nerve Gas
原野に暮らす北米の先住民たちも、日々テレビやラジオのある暮らしを営み、様々な情報を得ている(今では当然インターネットもある)。
比較的大きなコミュニティーであればローカル局があったりして、ちょっとした番組やニュースを制作して放送しているが、大抵の番組は都市部の大きな放送局が制作したものだ。アラスカの広大な原野にかこまれた寒村でも、フェアバンクスやアンカレッジと同じように朝っぱらから「The Price Is Right」を放送していて、お下品な絶叫や歓喜の声が鳴り響いてくる。かと言って、くだらない放送ばかりではないし、彼らにテレビを見て欲しくないと言っているわけでもない。
自分の普段の暮らしのなかで、時おり学生時代の言語学の教授が言っていた言葉を思い出すことがある。テレビやラジオは「Cultural Nerve Gas (文化的神経(毒)ガス)」になり得るのだと。
アラスカやカナダの英語圏に暮らす先住民たちが、英語でのテレビやラジオ番組に触れることで、自覚症状がないままに更に英語中心の生活になり、母語を忘れ去って行ってしまうというのだ(アラスカ先住民の言語の問題は「消えゆく言語」でも書いた)。
彼の意見に対して色々に考える人はいると思う。ナショナル・ジオグラフィック誌などに何度も寄稿したことがある、とあるアラスカの著名な女流ジャーナリストは、この言語学者のことを「彼は我々に石器時代へ帰れと言っているようなものだ」と痛烈に批判し嫌悪していた(このジャーナリストの授業も受講していたが・・・)。だがこの言語学者はテレビを一方的に否定しているわけではなく、当然メディアの有用性も認識している。先住民自身の放送局を持ち、母語での番組を放送することでコトバを強化していくことができると(しかし、このようなことを真剣に考えなければいけないほど、彼らの言語は風前の灯火なのである)。
この話しはさておき、情報にあふれ返る自分の普段の生活のなかでも「Cultural Nerve Gas(文化的神経(毒)ガス)」はいたるところに蔓延しているように思う。
最近、日本のメディアや広告代理店がゴリ押しするナントカ流に対する反発に対して、どこかのタレントが「イヤならテレビを見なきゃいい」などと言ったらしいが、視聴者などから拒否反応が出ている状態ならまだ良い方なのかもしれない。
本当の神経(毒)ガスというものは、自覚症状がないのだ。
アラスカなどの先住民の言語のように今まで当たり前に存在していたものが、ある日気がついたら失われていた(或は変質していた)、ということもあり得るのだから。
Oct 24, 2011
Mystery Ranch
今年はP.G.I. と清里フォトアートミュージアムでの写真展、そして初の写真集出版が慌ただしく続いた。ようやく一段落したので、次回の撮影に向けて機材を運ぶバックパックを引きづり出してチェックした。
写真のバックパックは 2006年頃に購入した Mystery Ranch の「Kodiak」というモデル。7000 cu-inch で同社のインターナルフレームとしては最大のもの。
これ以前は Dana Design の「Astralplane Overkill」を使っていた。Dana Design のバックパックは「山を実際に歩いている人間がデザインして作った」と感じさせる、丈夫でシンプルで使い易いとても良い製品だった。Overkill モデルはパック全体が 1000デニールコーデュラナイロンで作られた超ヘビーデューティーモデルで、短期間だけ生産されていたように思う。それはアラスカのアウトドアショップで特注して購入したが、鋭い枝が突き出す低木や岩場が多いツンドラ地帯で使うには打ってつけだった。しかし、かなり酷使してヘタってきたのと、更にもっと大きな容量のパックが欲しかったので現在の Mystery Ranch のバックパックを購入したのだった。
極地での撮影では夏場でもブリザードに見舞われることがあるので、装備は四季を通じてあまり変わらない。大型カメラなどの撮影機材以外にも冬季用のシュラフやら色々なキャンプ道具を運ぶので、Lowepro などのカメラ専用のバックパックだと衝撃緩衝材が入っているので図体はデカくてかさ張るくせに、容量が少なくて私には使えない。
カメラバッグもそうだが、たったひとつの理想の形などなく、結局は各々が自分の撮影スタイルに合うように工夫しながら使うしかないようだ。
ほんとうは Dana Design のシンプルな構造のパックが理想だったのだが、気がついた時は同社は既に売却済で製品はベツモノ(もうブランド名さえ消滅したのでは?)。アメリカではノリに乗って来た時に会社を売っぱらうのは結構あること。90年代に一世を風靡した YETI CYCLES もそうだった。高嶺の花だったけど・・・。
Dana Design の創設者だった Dana Gleason が新たに立ち上げた Mystery Ranch には、何の疑いもなく飛びついた。確かに良いパックで、Dana Design のときに培った経験が生かされているのを感じる。しかし、パックの構造が複雑になり、夏場は砂埃、冬季は雪が至る所から入り込んだりするのは始末が悪い。
あと精神衛生上の問題だが、同社のバックパックはイラクに駐留する米軍部隊にも支給されているそうで、実践での経験がフィードバックされているが、使っていてなんだか複雑な気持ちになってくる。
まあカメラも、戦争とともに進化発展を遂げて来た工業製品ではあるのだが・・・。
Oct 5, 2011
La Lettre de la Photographie.com
Kmopa でのトークに来日したクリストフ・ラン氏が、フランスの写真関連サイト La Lettre de la Photographie.com に「グレイト・スピリット展」の記事を寄稿しました(英文)。展覧会の写真も掲載されています。
尚、このサイトは「2011年 LIFE が選ぶ写真ブログ」で1位に選ばれたそうです。
Oct 4, 2011
「グレイト・スピリット展」トーク
さる9月24日、台風一過の秋晴れのなか清里フォトアートミュージアムにて、サルダール=アフカミ氏の代理人クリストフ・ラン氏とトークを行いました。この模様はビデオにも収録され、最終日までミュージアム館内にて放映されているそうです。
グレイト・スピリット展は今月10日まで。各方面の方々から好評をいただいております。開催日数もあとわずかですが、ぜひご来場ください。
Sep 21, 2011
清里フォトアートミュージアム「グレイト・スピリット展」ギャラリートーク
「グレイト・スピリット: カーティス、サルダール=アフカミ、八木清の写真」を開催している清里フォトアートミュージアムで、9月24日(土)14時からギャラリートークをします。
サルダール=アフカミ氏もこの日のために来日し、トークに参加する予定です。どのような話しを聞けるのか、私も今から楽しみです。お誘い合わせのうえ、ぜひご来場ください。詳細はこちら。
※ アフカミ氏の来日が急遽キャンセルされたため、トークは代理人のクリストフ・ラン氏と私になりました。
Sep 19, 2011
Sep 2, 2011
Aug 28, 2011
PGI 写真展「sila」終了
27日、フォトギャラリーインターナショナルにて開催していた個展「sila」を終了しました。
今回は真夏の約2ヶ月におよぶ開催でしたが、たくさんの方々にご来場いただきました。会場にて高額で重たい写真集「sila」をお買い上げ頂くこともあり、光栄でした。すべての皆様にお礼を申し上げます。
在廊中にお会いできた方々のなかには、清里フォトアートミュージアム(Kmopa)にて開催中の「グレイトス・ピリット展」にも行かれた方も多く、また、清里にも是非行きたいとのお声をいただくこともありました。
グレイト・スピリット展は10月10日まで開催しています。
9月24日には、私とサルダール=アフカミ氏のトークが Kmopa にて開催されます。私自身も、いまからどのようなトークになるのか楽しみです。
Aug 20, 2011
Aug 11, 2011
「グレイト・スピリットを語る」
Jul 21, 2011
Jul 10, 2011
八木清x北陽一郎 スライドレクチャー at PGI
トークの冒頭で『寡黙な人』と紹介された割には『饒舌な人』だった、と思われたかもしれませんが、この勢いで16日にフォト・ギャラリー・インターナショナルにて開催される「八木清x北陽一郎 スライドレクチャー」にも臨みたいと思います。
このトークでは写真作品についても語るのですが、「渋さ知らズ」やソロで活躍されているトランぺッターの北陽一郎さんをお招きし、私にとって音楽がどのように写真に結びつき、インスピレーションや影響の源泉となっているのか、というお話しもしたいと思っています。
このイベントでは、北さんによるミニ即興コンサートも予定されておりますので、写真のみならず音楽に興味がある方々にも是非お越し頂きたいと思っております。
Jul 3, 2011
写真展「sila」「グレイト・スピリット展」
初日のレセプションには多くの方々にお集りいただき、ありがとうございました。同時発売の写真集も、各方面の方々から好評を頂いております。レセプションではちょっとしたサプライズもあり、大変光栄でした。あらためてお礼申し上げます。
さて、今週6日からは清里フォト・アート・ミュージアムで「グレイト・スピリット展」も始まります。今やアメリカ・インディアンを語るうえでは欠かせぬエドワード・カーティスの作品、そして本邦初公開となるサルダール=アフカミ氏がとらえたシャーマニズムが今なお色濃く残るユーラシアの文化・・・。
私自身の出展作品は、初期のものから最新作までを網羅しています。プラチナプリントも16年間を掛けて制作してきているものなので、それぞれのプリント自体の微妙な変化も垣間みることができるかもしれません。
今回の企画展は、非常にスケールの大きな作品展になることと思います。
静かな森のなかにある美術館へ、ぜひお越し下さい。
Jun 18, 2011
「sila」sneak preview 2
風合いや手触りがプラチナプリントに近い紙を選びました。紙とインクの相性は印刷するまでわかりませんでしたが、結果は大正解。印刷の良さと相まって、プラチナプリントの雰囲気をかなり再現できたと思います。この紙にはサトウキビの繊維が入っており、その名も「シュガー」。厚手で贅沢な紙。そのため重量級の写真集となりました。この写真集は指先での感触もぜひ楽しんでください(舐めても甘くはありません)。
周極地図と写真解説。
税込¥16,800。7月1日発売開始。印刷クオリティや装丁など、撮影者自身が色々な理想を追求して制作しました。写真集としては高額ですが、少しでも買い求め易い価格に近づけようと出版元の PGI に努力していただきました。ISBN は取得していませんので流通には乗りません。PGI の店頭かオンラインストアでの販売が基本です。ご購入はこちらへ。
「sila」sneak preview 1
ケースはタイトル文字とエスキモーの面の空押し。
至ってシンプルなケースですが、面の型を作るためのデータ作成が相当大変だったそうです。デザイナーの杉本さん、ありがとうございました。
35 x 35 cm の大型写真集です。
タイトル文字のブルーとグリーンの微妙な中間色は、グリーンランド北部で見た氷河の色をイメージしています。氷河の色は透過光なので印刷での完全な再現は不可能ですが。
テキストは英語、カラーリスット(西グリーンランド語)、日本語での表記(写真は西グリーンランド語)。カラーリスットはグリーンランドでの呼び名ですが、アラスカとカナダのイヌイットの言葉と同じ言語です(方言の違いはあります)。グリーンランドではまだ第一母語として話されていますが、アラスカとカナダではある年齢以上の人たちしか話せなく、そのような地域では今世紀中に消滅してしまう可能性が大きな言語です。
アラスカ、ヌニヴァック島のユピック・エスキモーのシャーマンの言葉から物語が始まります。この言葉は、デンマークの探検家クヌート・ラスムッセンが1920年代に第五次チューレ探検のなかで記録したものです。薄い斑模様のトレーシングペーパーに文字を印刷。1ページ目の写真が霧の向こう側に透けて見えるイメージでデザインしました。
入稿はオリジナルのプラチナプリントで。テスト印刷を繰り返し、プリンティングディレクターと印刷現場の方々のおかげで、最高の印刷結果を得ることができました。「これくらいの印刷は目指したい」と、目標とした高品質の写真集は何冊かありましたが、それらを凌駕するほどです。
Jun 17, 2011
写真集発売・写真展開催
写真集「sila」の発売を記念して、個展「sila」をフォト・ギャラリー・インターナショナルにて開催します。7月1日から8月27日まで。
展示作品は、すべてプラチナパラジウムプリントです。
また、写真集掲載作品もすべてオリジナルのプラチナパラジウムプリントから再現した高品位な印刷です。
Jun 13, 2011
田口ランディ x 八木清 in 早稲田大学小野記念講堂
先着順、入場無料。
May 26, 2011
May 24, 2011
「グレイト・スピリット / カーティス、サルダール=アフカミ、八木清の写真」展開催
エドワード・シェリフ・カーティスといえば、アメリカインディアンの肖像写真などで有名ですが、彼はアラスカも訪れてヌニヴァック島やノアタック周辺のエスキモーも撮影しています。私も写真家を志す以前から彼の名と作品を知っていました(大学で受講した人類学、言語学などの授業では、必ず彼の名前や功績、写真やフィルムが紹介されました)。
現在は、彼が生きた時代とは社会(先住民社会も含め)も写真も大きく変化したところがあり、私自身も”彼のような作品”を写すことよりも、”自分が生きるいま現在”を写すことを常に考えてきましたが、やはりカーティスの作品は心のどこかで意識し続けてきたように感じます。私自身の作品が彼の作品と同時に展示されることは夢にも思ったことはなく、このような機会に恵まれたことを大変光栄に思います。
サルダール=アフカミ氏の作品は、今回が日本初の発表となります。中判カメラで撮影して拡大ネガから大きなサイズのプラチナプリントを制作されているそうですが、中判の機動性を生かした独自の作品を見ることができるのは、いまから楽しみです。
この写真展にあわせ、東京でプリイベントの開催も予定されています。
詳細が確定次第、このブログでもお知らせします。
Apr 29, 2011
写真展&写真集
この夏は、写真集出版とふたつの写真展(個展と3人展)を予定しており、それに向けたプラチナプリント制作と写真集制作も、そろそろ佳境にさしかかろうとしている。
写真集の内容は、8x10インチの大型カメラで撮影してプラチナプリントで制作しているテーマであるが、最初はRCペーパーに焼いて印刷の段階でオリジナルのプラチナプリントにイメージを近づけることを考えていた。しかし、結局入稿用にすべての作品をプラチナプリントで制作した。60数点の作品を集中してプリントした時はほんとうに大変だったが、これだけの作品数を集中的に焼くと、プラチナプリントの一筋縄でいかない難しさや奥深さを再認識した。
印刷を考えると、プラチナプリントの特に暗部の再現性や紙目の問題など心配なところもあったが、自分自身の手で制作した納得ゆく作品で入稿したい気持ちもあった。また、一般的に作品保護などの理由でプラチナプリントで入稿する写真集というのは珍しいのではないだろうか。そして先日印刷会社から初稿が上がってきた。これまでにテスト印刷を何度か行ったこともあり、結果は上々だった。だが60数点も作品があるので、なかにはもっと詰めなければいけないものも当然ある。
しかし、初稿を見れば見るほど、スキャニングを含めた今の印刷技術には驚かされる。プリントに写っているものは、あますところなく再現されている。逆に、あまり見えてもらいたくないもの(強調されたくないもの)まで再現されているものもあるので、そういう部分は極力、修正してもらわないといけない。
今回の作品集を作ろうと思い立ってから既に数年を経て、予想以上に時間が掛かってしまった。内容や装丁の変更など紆余曲折はあったが、焦らず時間を掛けただけの内容と質になってきたと思う。そしてまた、ある方との十数年以来になる偶然の再会を切っ掛けに、制作に関わる様々なご協力を得ることもできた。
3言語表記(英語・西グリーンランド語・日本語)の大型本で、イメージサイズはオリジナルプリントの等倍。紙にもこだわり、風合いや手触りは実際のプラチナプリントの印画紙に近いものを使っている。最高のプリンティング・ディレクターの方々にも恵まれた。印刷のクオリティは絶対に落としたくないので、これからが勝負どころである。
Apr 7, 2011
「解釈」と「理解」
だいぶ前のことだが、ある若手New Color 作家が個展を開催した際の雑誌のインタビューで、「自分の作品は、見る人それぞれが各々感じるように感じ取ってもらえればいい」ということを言っていた(この際『New Color』 とかどうでも良いが)。なんだかリベラルっぽくて耳障り良く聞こえるかもしれないが、とてもじゃないが自分にはこんな無責任なことは言えないと思った。
武満徹は「孤独な感情がふれあうところに、音楽が形をあらわす。音楽は決して個のものではなく、また、複数のものでもない。それは、人間の関係の中に在るものであり、奇妙ではあるが、個人がそれを所有することはできない」と言った。この言葉は長らく私の心の内にあり、ほんとうにこれがどういうことなのか、常々考えていた。
あくまで「生命」というものにまっこうから対峙して創作に打ち込んでいる限り、常に変化する対象に対峙しているのであり、そもそも自分自身も生命そのものなのだ。命あるものは死ぬまで変化、変容し続ける(肉体的にも精神的にも)。そう考えると、作品というものが自分の変化・成長の過程で生まれる分身とも思え、同時に愛おしさを感じる。でもその反面、変化の過程ではがれ落ちる単なる「垢」なのかもしれないと思うこともある。両者の共通点を現代風に言えば、DNA らしきものが含まれている点か?であればこそ、やはり自分の作品に対してどこかで「責任」というものを感じるし、他人にどう受け取ってもらっても良い、とはどうしても思えない。だからこそ、自分の撮影テーマに関するリサーチや裏付けというものは、徹底的にしなければならないと思っている。
ある「作品」に対して「解釈する」という言い方がされるが、そもそも「解釈する」ということが他人のために発せられるものならば、「理解する」ということは自分のためであると思う。私は撮影をとおして見る世界を自分なりに必死で理解しようとしているが、どうしても理解することができない。ましてや「解釈」するなんて領域には、とてもではないが到達できない。その意味で作品を発表するということは、何かの途上にある自分自身をさらけ出しているとしか言いようがないかもしれない。その姿をとおして、自分が惹かれる世界や「有り様」というものを訴えようとしているのだろうか。
考えてみれば、音楽でも文学でも媒体は違っても、私自身が惹かれる作品の根源には、その作品に滲み出ている作家の生き様にある。だからこそ、優れた作品には分野を超えて共鳴することができるのだと思う。
Mar 29, 2011
泥だらけのアルバム
東北関東大震災のニュースなどをとおして時おり見る、被災地で見つかった泥だらけになった誰の物ともわからぬ記念写真や家族のアルバム。被災者自身が現場に戻って見つけた物もあれば、救助の人たちが見つけた物もある。救助の過程で見つけたアルバムや写真を、被災者にわかるように一カ所に集めていることも報道されていた。ずれにせよ、たとえ見ず知らずの人のものであっても、写真を無下に扱えぬという心情がわき起こるものだ。
「写真」というものが、これほど人の心にとって大切なものだったと、今まで考えも及ばなかった面から悲しいほどに認識させられた。
何年も前に私自身が両親を亡くしてから、確かに写真に対して人が潜在的に抱く「思い」があり、それは「作品」として仕立てられた写真などとはまったく別物であると、何となく感じていはいた。
「作品」と呼ばれる写真の、何と空虚なことか(事実、この場に及んでは何て浅はかに聞こえることか)。でも、時代を超えて語られる写真があることは確かなのだ。そういうものは、「作品」という領域を越えているのかもしれない。そもそも、作品って何だ?
泥だらけのアルバムのほとんどは、決して作品として撮られたものではないだろう。でも、実際にはその変哲もない写真たちは、命や魂に関わる領域のものなのだ。
Jan 13, 2011
Urban Agnas and Sabina Agnas play music by Eva Möller
スエーデンのトランペット奏者ウルバン・アイナス。
クラシック奏者だが、ここではスパニッシュ調の曲にトランペットが良い感じで合っている。
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