「自然は偉大だ。しかし、人間はさらに偉大だ」
『Fra Grønland til Stillehavet(グリーンランドから太平洋へ)』と題された、上下二巻から成るこの分厚い本の最終章は、このような言葉で締めくくられている。
これは、デンマークの探検家で、民族学者でもあったクヌート・ラスムセンが著した本で、一九二五年に出版された。ここには、グリーンランドからカナダ、アラスカ、シベリアにかけて暮らすエスキモーが同じ言葉を話す同じ民族であることを立証するために、一九二一年から一九二四年までの約三年間をかけて犬橇をおもな手段とし、各地のエスキモーを調査した第五次チューレ探検の話が収められている。この探検ではラスムセンが隊長を務め、生物学や考古学などの若き研究者たち五名と、助手のグリーンランドエスキモー六名が参加した。当時の北極圏は地図にさえおこされていない未踏の地が大半であり、カナダ北極圏内陸部を調査していた約一年半は外界との接触が完全に断絶していたため、隊員たちの命は母国デンマークでは絶望視されていたらしい。
モロッコ革で製本された扉をひらき、少々かび臭いページをめくっていく。すると、豊富な白黒写真や、旅で出会ったシャーマンたちの実筆による、ツンドラにさまようという摩訶不思議な精霊たちのスケッチなどとともに、活字たちが長い歳月に色褪せることもなく、生き生きと立ち上がってくる。この古ぼけた本のなかには、有史以前そのままのエスキモーの世界観が、冷静かつ詩的に表現されている。
旅の途上ラスムセンが出会った狩猟民の暮らしは「畏れの信仰」が根底にあった。彼らの自然観や生死感は、死者や動物の霊、そして自然界に対する畏怖の念から生じたものであり、それらからの災いを免れるために、様々な掟(おきて)を定めていた。掟は、まるで彼ら自身の行動や生活を拘束するほど無数に存在していた。しかしそれは、彼らの先祖が生み出した古くから伝わる知恵であり、無条件に従わなければならないものであった。何故ならば「死」以上に、災いがもたらす「苦しみ」というものを、彼らは恐れていたからであり、掟の存在とは、人間が逆らうことも解明することも決してできない、自然界や宇宙の摂理と同質のものでもあった。このような当時のエスキモーの原始的世界観は、白人とエスキモーの混血としてグリーンランドエスキモーの村に生まれ育ったラスムセンの理解さえも超越したものだった。
しかし、冒頭に記した言葉(自然は偉大だ。しかし、人間はさらに偉大だ)に至ったラスムセンの境地とは、いったいどのようなものだったのだろう。彼はほんとうの自然界の厳しさや恐ろしさ、そして、神々しいまでの美しさを、探検家としての比類稀な経験と、彼自身そうであった狩猟民族としての視線をとおして、常人よりもはるかに理解していたはずである。彼がこの長大な探検記の最後を締めくくった言葉が、人間中心の浅薄なる考えや、長旅を終えノスタルジックな気分に浸ってこぼした言葉だとは、私には到底思えない。
ラスムセンがこの旅の終わりをむかえたのは、アラスカであった。 アラスカには、西部に暮らすユピックと、北部に暮らすイニュピアックという二つの異なる言葉を話すエスキモーがいる(イニュピアックはカナダやグリーンランドのエスキモーと同じ民族でもある)。「エスキモー」という名は外来であり、その由来には諸説あるが、ユピックやイニュピアックという彼ら自身の呼称には「真の人々」という意味がある。昔から敵対することの多かったインディアンに比して、自分達をそのように誇り高く呼ぶようになったのか否か、今はもう知る由もない。ラスムセン以降、時代は急速に変化して、彼が見届けた人々の暮らしは大きく変わった。しかし、「真の人々」と自らを誇り高く呼ぶ狩猟民は、人間は大いなるものにより生かされているという、不変の真理に向き合いながら、現在も極北の自然に生きる。
八〇年以上も昔、ラスムセンたちは薄紅に染まる氷海の地平線へむけて、犬橇を走らせていた。それは、人間が抱く深い情念の世界へむけた旅でもあったのだろう。彼が残した言葉の真意とは何であるのか、時を越えて深く問いかけてくる。