Oct 25, 2009

デンマークの探検家・民族学者クヌート・ラスムッセンについて


「自然は偉大だ。しかし、人間はさらに偉大だ」

『Fra Grønland til Stillehavet(グリーンランドから太平洋へ)』と題された、上下二巻から成るこの分厚い本の最終章は、このような言葉で締めくくられている。

これは、デンマークの探検家で、民族学者でもあったクヌート・ラスムセンが著した本で、一九二五年に出版された。ここには、グリーンランドからカナダ、アラスカ、シベリアにかけて暮らすエスキモーが同じ言葉を話す同じ民族であることを立証するために、一九二一年から一九二四年までの約三年間をかけて犬橇をおもな手段とし、各地のエスキモーを調査した第五次チューレ探検の話が収められている。この探検ではラスムセンが隊長を務め、生物学や考古学などの若き研究者たち五名と、助手のグリーンランドエスキモー六名が参加した。当時の北極圏は地図にさえおこされていない未踏の地が大半であり、カナダ北極圏内陸部を調査していた約一年半は外界との接触が完全に断絶していたため、隊員たちの命は母国デンマークでは絶望視されていたらしい。

モロッコ革で製本された扉をひらき、少々かび臭いページをめくっていく。すると、豊富な白黒写真や、旅で出会ったシャーマンたちの実筆による、ツンドラにさまようという摩訶不思議な精霊たちのスケッチなどとともに、活字たちが長い歳月に色褪せることもなく、生き生きと立ち上がってくる。この古ぼけた本のなかには、有史以前そのままのエスキモーの世界観が、冷静かつ詩的に表現されている。

旅の途上ラスムセンが出会った狩猟民の暮らしは「畏れの信仰」が根底にあった。彼らの自然観や生死感は、死者や動物の霊、そして自然界に対する畏怖の念から生じたものであり、それらからの災いを免れるために、様々な掟(おきて)を定めていた。掟は、まるで彼ら自身の行動や生活を拘束するほど無数に存在していた。しかしそれは、彼らの先祖が生み出した古くから伝わる知恵であり、無条件に従わなければならないものであった。何故ならば「死」以上に、災いがもたらす「苦しみ」というものを、彼らは恐れていたからであり、掟の存在とは、人間が逆らうことも解明することも決してできない、自然界や宇宙の摂理と同質のものでもあった。このような当時のエスキモーの原始的世界観は、白人とエスキモーの混血としてグリーンランドエスキモーの村に生まれ育ったラスムセンの理解さえも超越したものだった。

しかし、冒頭に記した言葉(自然は偉大だ。しかし、人間はさらに偉大だ)に至ったラスムセンの境地とは、いったいどのようなものだったのだろう。彼はほんとうの自然界の厳しさや恐ろしさ、そして、神々しいまでの美しさを、探検家としての比類稀な経験と、彼自身そうであった狩猟民族としての視線をとおして、常人よりもはるかに理解していたはずである。彼がこの長大な探検記の最後を締めくくった言葉が、人間中心の浅薄なる考えや、長旅を終えノスタルジックな気分に浸ってこぼした言葉だとは、私には到底思えない。

ラスムセンがこの旅の終わりをむかえたのは、アラスカであった。 アラスカには、西部に暮らすユピックと、北部に暮らすイニュピアックという二つの異なる言葉を話すエスキモーがいる(イニュピアックはカナダやグリーンランドのエスキモーと同じ民族でもある)。「エスキモー」という名は外来であり、その由来には諸説あるが、ユピックやイニュピアックという彼ら自身の呼称には「真の人々」という意味がある。昔から敵対することの多かったインディアンに比して、自分達をそのように誇り高く呼ぶようになったのか否か、今はもう知る由もない。ラスムセン以降、時代は急速に変化して、彼が見届けた人々の暮らしは大きく変わった。しかし、「真の人々」と自らを誇り高く呼ぶ狩猟民は、人間は大いなるものにより生かされているという、不変の真理に向き合いながら、現在も極北の自然に生きる。

八〇年以上も昔、ラスムセンたちは薄紅に染まる氷海の地平線へむけて、犬橇を走らせていた。それは、人間が抱く深い情念の世界へむけた旅でもあったのだろう。彼が残した言葉の真意とは何であるのか、時を越えて深く問いかけてくる。

Oct 15, 2009

機材を越える

写真が他の表現媒体と決定的に異なるのは、現場に立たなければ作品を作ることができないことだろう。想像力だけが豊かでも作品は生まれない。良い被写体に恵まれ、最良の光線状態に恵まれなければ良い写真を写せない。「芸術」という言葉はどこか胡散臭さを感じて好きではないが、あえてその言葉を使わせてもらえば、写真は出会いの芸術だと思う。風景や人間、動物など、様々な被写体や瞬間との良い出会いができるかどうか、写真はすべてそこに懸かっている。出会いに対する切なる祈りが作品に力を与えてくれる。

時折、カメラマンがまとめた作品集などを「ナニガシ氏がファインダーを通して見た世界…」などという言い回しで見出しをつけたり、カメラマン自らも「私がファインダーを通して見た〜の世界」という言い方をする人たちがいるが、率直に言って、ファンダーを通してしか世界を見ることができない写真家は失格であると思う。カメラのファインダーといった機材を超えることができていないのは、世界に対峙しながらも写真という偏狭な枠組みにとらわれしまっている。

では、どうしたら機材を超えることができるか?
自分が生まれ持った二つの目玉で「見る」という行為に徹するのである(一眼レフでの手持ちは、とかくファインダーのなかで構図を決めがちになるので、どうしてもファインダーのなかで見ながら考えてしまう)。更に、視覚に加え、人間が備えている感覚器官を総動員する。嗅覚や聴覚、肌からの感覚などなど。 写真のプリントのサイズなどたかが知れたものである。全器官を使うことは、限られたプリントサイズの中に、いかに無限の空間の広がりや世界の深さを感じさせるかに密接に関わってくる。主要な被写体よりも、むしろその後ろに写っている何気ない背景、地平線や空が重要なのである。これは、広重の浮世絵や、日本画を見ると明らかである。日本画や浮世絵は、遠近法を駆使する西洋画と違って平面的だと思われている。しかし、そこには放射方向だけでなく、画面の深い奥行きがある。空間処理はもちろんのこと、背景の処理の仕方、光やグラデーションの扱い方に秘密があると思う。そこに描かれている背景には、心理的に引き込む強烈な作用がある。写真でファインダーをのぞくのは、ピント合わせと画面の四隅をちょいと見て構図の確認をするだけなのである。

プリントをする際には、ネガに写り込んでいる物質の根源的な部分に着目する。全ての物質は異なる反射率があるし、表面の質感や感触も温度も異なる。それを考えることによって立体感や空気感、臨場感までも印画紙上に表現できることにつながってくる。撮影のときに全身の感覚を総動員して感じた記憶を、このときに一斉に蘇らせ、プリントをする。だからプリントをしているときは、いわばトランス状態になっている。

Oct 1, 2009

プリントを焼くということ


自分で制作しているプラチナプリントは、数種類の薬品を調合して紙に塗布し、印画紙を作る段階からはじめるので、非常に手間が掛かる。しかし、そういうことは別として、プリンター自身のモノクロームを見る眼がしっかりとしていないと良いプリントが作れないことは、銀塩のモノクロプリンティングと同じだと思う。アンセル・アダムスは、「ネガが楽譜で、プリント制作が演奏だ」というようなことを言ったと思う。ピアニストだったアダムスらしい言葉だが、私はもう少しそこに付け加えたいことがある。プリントは、自分自身に向き合う行為でもあるということだ。

以前、写真展を開催したときにギャラリー側に販売用のプリントを納めるため、何点かプリントを制作しなければならなかった(私の場合、基本的に一点のネガからマスタープリント一枚しか焼いていないので、注文などが入ったときにプリントを制作する)。ところが、このときのプリント制作が非常に苦痛で、たった一枚焼くと、まるで身体が腑抜けのようになってしまい、その日は何もする気がなくなってしまったのだ。必要点数のプリントを終えるまで、苦行のような日々が続いた。最初は単に体調が悪くて疲労がたまっているのだろうと思っていた。しかし、かなり後になってからわかってきたのだが、どうやらその時、取り組んでいたネガに自分自身のエネルギーを吸収されてしまっていたのだと思う。こう書くと、オカルトっぽく聞こえるかもしれないが、あのプリント後の倦怠感は、そう言い表すしか表現のしようがない。何か強力な磁力を持った物体に、何もかも吸い取られたような感覚だ。

考えてみると、「プリントして腑抜け状態」を経験する以前は、プリント制作はいつも撮影から帰ってきた直後だった・・・。極北への撮影行はいつも単独であり、危険や様々なリスクがともない緊張感に満ちている。そのような状況下で、8x10インチの大型カメラで一枚一枚撮影する。だからこそ、それぞれのネガには撮影時の私自身の念や、ほとんど祈りのような気持ちが入り込んでいると思う。

撮影時には大きなプレッシャーが掛かるが、その反動で撮影後は突き抜けんばかりの解放感と充実感で心身ともに満たされる。プリント制作するときは、いつもそのような時だった。また、プリントをする際に取り組むネガのイメージをしっかりと持つためには、撮影時に五感で感じたすべての感覚(風の音や大気の冷たさ、太陽のぬくもり、匂いなど)を一斉によみがえらせ、それをプリントにフィードバックしなければならない。それは、腹をくくって旅立った自分自身と対峙する瞬間でもあり(本当にそういう感覚がある)、よほど気持ちが充実していないと、撮影時の自分自身の気迫に負けてしまうのだ。

ギャラリーにプリントを焼いていたとき、確か前回の撮影からは時間が経った時期だったように思う。また、現在は相当な枚数のネガがたまった状態なので、時間さえあればプリントを焼いているが、いつも気持ちを高めて感覚を開いていないと良いプリントを作れないし、相変わらずエネルギーを吸い取られてしまう。