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Aug 2, 2016

プラチナ・パラジウムプリントを作る・・ということ。

プラチナ・パラジウムプリントは感光液を紙に塗布して、印画紙を自分で作るところから始めなければならない。つまり既製品の印画紙を使うわけではないので、まずは基準となるもの(自分の中心点)を見出して、安定した結果を長期的に出していかなければならない。とても地味なことだが、これができていないと長期的なテーマで撮影に取り組んだりするとプリント制作時期によってバラバラな仕上がりになってしまい、全体として見たときにまとまりがつかなくなってくる。「職人技」という言葉があるが、それはいかに作品のバラつきをなくするかの技術のようにさえ思えてくる。本当の表現は、そのことが出来てからの話なのではないだろうか?「偶然性に賭け続けるには、あまりに人間(作家)は弱い存在」だと思うのである。

プラチナ・パラジウムプリントで使う支持体(紙)は仕上がりに影響するたいせつな要因のひとつで、生産ロットによるばらつきや不安定な供給で、これまで20数年のあいだに何度も泣かされてきた。昨年末以来、数種類の新しい紙がでてきたので試しているが、なかなか良い結果が出てきている。しかし、嘗てあった「PLATINOTYPE」という紙には及ばないかもしれない。写真に写っているものがひとつひとつ立ち上がってくるようなあの立体感はあの紙でしか表現できなく、他の紙と比べると別次元のものだったように感じる。ただし、雁皮紙はまた別の次元で素晴らしい結果を出せる紙だと思う。紙の大きさやコストを別とすれば・・。

プラチナプリントを始めたばかりの頃は毎回毎回、「もうこれ以上できないようなプリントを作ろう」と意気込んでいたが、ここまで書いたとおり、山あり谷ありのプラチナプリント制作。おまけに、自分自身のモノクローム写真を見る眼や価値判断だって常に変化していくものだ。

結局は、作る側にとっては「その時々に最善を尽くして作品制作に取り組むしかない」という認識と、見る側には「人間はつねにコスモスとカオスのあいだを揺れ動くもの」というおおらかな認識が必要、ということでもある・・と思う。


May 7, 2016

『ものをみる - Take In』 May 10 - June 2, 2016 at PGI Tokyo.

PGI にて開催する企画展『ものをみる - Take In』にプラチナプリントを出品します。
グリーンランドにて8x10インチカメラで撮影した静物です。5月10日から6月2日まで。



 

May 22, 2015

Viewing the Silence of the Valley.


Robertson Fjord in the northwestern Greenland.

May 21, 2015

エトヴィン・フィッシャー







今は亡き知人から、エトヴィン・フィッシャー著の「音楽を愛する友へ」という文庫本をもらい、原野での撮影中、テントのなかで何度も読みかえしてきた。日本語訳の堅苦しい文体もあって少々とっつきにくい文章だが、音楽のことに限らず、日常の何気ない光景の描写にも繊細な人間性があらわれていると同時に、著者の洞察力の深さが感じられる良書だ。


バッハの平均律を最初に録音し、現代に<再発見>したのが、フィッシャーだそうだ。彼の演奏がもっとも真摯にバッハの音楽に向き合っているといまなお評されることがあるのは、信仰心から、神にささげる気持ちで作曲されたものを、演奏者の<独創性>を発露するための作品としてフィッシャーは受け取っていなかったからなのかもしれない。


自然写真の評論などでも、「打ち震えるような感動の気持ちを作品に表現しろ」というような、万人に理解可能な単純な論評で安易に総括する評論家がいるが、そんな人には例えば「自然に分け入ると、襟をただすような気持ちになる」という感覚は理解できないのかもしれない。<自己>が無化してしまうような事態が世界にあることを知らないのかもしれない。いや、もし知らないのならば当然のことだろう。それは根本的に<経験>するしかないからだ。出会った光景なり事象なりに内包される厳粛さに自分の波長が一致し、<感動する気持ち>をはるかに超えた<畏怖の念>を抱きある種の信仰心が芽生えるような事態に陥ることも、滅多にあることではないにせよ存在するのである。そんな稀有な世界の奥深さを探求し作品に表すことは困難ではあろうが、卑小な自己表現だけに埋没するよりもそのことに努めることの方が、芸術家にとってはより本来的な仕事のように思う(もはや現代では「だった」と過去形で言うべきなのだろうか)。それは<刺激>や<斬新さ>、<わかりやすさ>などではなく、世界やものごとの<深さ>を探求することだろうから、見る方にとってもそれなりの見る努力が強いられることではあろう(往々にして古典と呼ばれる作品にそういった側面が見られるように)。


「語りえぬものには沈黙しなければならない(L. Wittgenstein)」という言葉があるが、ものごとの深さの探求とは、「語りえぬもの」に通じる長い道のりなのかもしれない。それは、ただ<生きること>のなかに示され、語ることもできず、語るべきでもない(また、こうやって書くべきでもないのだろうが・・)。思えば、私自身がこれまでに魅了されたすべてのアーティストたちの作品から共通して感じられることは、強烈な彼らの<生き様>であった。そして、私自身はそこに一番の感動を覚えてきた。それはまさに、彼らの生に対する真摯な姿勢がありありと体現されているからだろう。そのような作品においてはまさに、「美とは人々を(真実に)おびき寄せるための餌でしかない(S. Celibidache)」のではないか。






May 15, 2014

言葉、世界・・・sila

「言葉で掛けた魔法を言葉で解くことはできない。だから音楽や絵画や写真が必要とされる」なんて言おうものなら、小説家あたりに目を吊り上げて怒られそうだし、「それは思考停止状態だ!」なんて糾弾されもしそうだ。

しかし、言葉を使ってしまうと、一向に知りえなく、そのまま一番肝心で大切なことを取りの逃がすことがある。何かの光景を目の当たりにして当惑したり、感動したり・・その気持ちをなんとか言葉にしたときには、もう本来受けた衝撃や感動したことから遠のいたりしている(そのために、小説家は行間からナニゴトかを立ち上がらせたり伝えたり努力するのだろう)。

このほんらい混沌とした世界を認識するために、人間は言葉を使う。これまで混沌に無数の区切り目を入れて「世界」を構築してきたし、この今も、しつづけている。「人間は言葉の生き物」といわれるのもその所以だが、ならば、区切り目を入れるごとに、区切り目と区切り目のはざま(混沌、闇)はさらに増えていくはずでもある。人間はそのことに恐れや不安を感じ、もうどうにも行き詰まってしまったときには、とうとうその言葉を「解体」したりもする。結局それは、「言葉」どころか「自分自身」を解体していることではないかとも思えるのだが、物事を知れば知るほど、混沌(謎)が深まってゆくという深遠さを物語っているかのようでもある(世界の謎が深まるというよりも、自分自身の謎が深まってゆくと言うべきか?M. ハイデッガーの言った、「存在は了解のうちにある」とか「現存在(人間)が存在するかぎりでのみ、存在はある」という言葉が思い起こされる)。

「世界」というものの認識の仕方自体、人間の言葉のうえに成り立っているともいえる・・ということは、言語が違ってしまえば、世界観も変わるということでもある。文化によって考え方や価値観が違うのも当然だろう。文化の「核」は言葉なのだから。

だとすれば、常に「速度」が求められる(強いられる)現代で、言語とか世界観というものはどのように変化しているのだろうか?テクノロジーというものは、蓄積された知識や技術が多くなればなるほど、その発展の度合いは一層加速してゆくというが、言語の変化の加速度もやはり増しているのだろうか?

はやり廃れが激しい今の世の中で、「ひとつの言語が消える」などということを日常的に考える人はあまりいないと思う(そんな余裕もないだろうが)。しかし、言語学的には、言葉というものは放っておいても、おおよそ1000年ぐらいで相互理解ができないくらいに自然と変化すると考えられている(同化政策のように、強制的にその言語の使用を禁止しない場合)。


以前出版した写真集「sila」(イヌイット語で「世界」の意)で、アリュート、ユピック、イヌイットの親子三世代の家族のポートレートを含め、三つの言語(西グリーンランド語(アリュート・エスキモー語族を代表して)、日本語、英語)で表記したのは、エスキモーの文化に対して敬意を表するのが第一義でもあるのだが、(たった半世紀の)同化政策の結果「今世紀中にほとんどの地域でイヌイット語を話せる世代が途絶える」という事実、この世から、ひとつの「世界」が消える、という思いにも根付いている。

Nov 5, 2013

「長野県生まれの写真家たち」トークイベント



長野市の北野美術館別館で開催中の「長野県生まれの写真家たち」にて、先週末、由良環さんのトークが開催されました。由良さんは 4x5 インチカメラで世界の都市を定点撮影し、モノクロームプリントを制作されている方。今年の日本写真協会賞新人賞を受賞されました。

12月1日までの開催期間中、参加作家によるトークイベントが予定されています。


Oct 17, 2013

写真集「sila」サイン・エディションなし


写真集「sila」の サイン・エディションなし が一冊のみ、特価で購入可能です(中古扱いですが)。関係者以外、一般に販売しているものはすべて著者が押印したエディションナンバー入りですし、エディションなしの余剰分は落丁など不良品があった場合のために極少数部保管しているだけなので、これは珍しい一冊です。

この一冊が流出した理由は よほど飲み代の足しが欲しかったのか? 謎ですが、「サイン・エディションなし」は私にとっても貴重なので、余裕ができたら買おうかなぁ。

Jan 8, 2013

My favourite things 1




これまでたくさんの写真集を見てきたが、決して数は多くないが自分自身に決定的な影響を与えてくれたものが何冊かある。そのうちの一冊は Brian Lanker 著の「I Dream a World: Portraits of Black Women Who Changed America」だ。ビジネスから芸術、学術関係などさまざまな分野で活躍するアメリカの黒人女性の肖像を、大判のジナーやハッセルブラッドで撮影したモノクロームの写真集だ。

1989年頃にでた写真集で、学生時代にたまたま町の書店でこの写真集を見つけた。実は、当時はカラーで写す風景や生物写真しか興味がなかった。モノクローム写真は興味がないどころか、どことなく古臭い感じがして毛嫌いさえしていた(授業ではモノクロフィルムを使わされていたが)。ところが、この写真集を何気なく手にしてパラパラとページをめくると、そのままレジへ直行していた。

当時の自分にとって、アメリカの黒人文化や人種問題、著者がピューリッツァ賞を受賞した著名な写真家だったことなど、まったく興味もなかったしどうでもよいことだった。ただ、人生までを浮き彫りにした重厚なポートレートに圧倒され、そこに写し出されている女性の美しさに魅了されたのだと思う。モノクローム写真の美しさ、ポートレートという手法の可能性、そして人間の美しさと同時にその存在の不可思議さ・・・このようなことは時間を掛けながら少しずつわかってきたように思う。最初は「この写真集は後々自分にとってとても重要になってくるんじゃないかな?」という予感めいたものだけだった。自分が持つ「嗅覚」だけが本物を見極めるための頼りだった。そもそも、そのときの自分にこの本が必要かどうか、などとその場限りの取捨選択的な目で作品というものを見ていたら、なんて偏狭でつまらないことだろう(写真集は高いし、当然無駄な出費になり得るというリスクもあるが、自腹を切らないと学べないこともあると後に知った)?そして「自分自身」というものさえ、つねに変化してゆくものだ。

この写真集は、全てひっくるめて当時の自分をいろいろと開眼させてくれたのだったが、それから4〜5年後、まさか自分が写真家を志し、しかもモノクロームで人物を写すことになるとは夢にも思わなかった。この写真集との出会いなくして、いまの自分の撮影スタイルもテーマもなかったかもしれない。

大学を卒業して撮影助手をしていた時代のこと、あるとき師匠とお酒を飲んでいたときに「ポートレートという手法で真理を追求してゆくことができるのか?」とたずねられた。そしてはっきり「はい。できます」と答えたことを覚えている。そして、いまも孤独な探求を続けている。

Sep 23, 2012

Gelatin Silver Session 2012 - SAVE THE FILM




10月1日から17日まで東京六本木のAXIS Galleryで開催されるゼラチンシルバーセッションに作品を出展します。

出展するのは、16x20インチの拡大ネガから制作した大判のプラチナパラジウムプリントです。作品は「伝統衣装を着たユピック・エスキモーの女性」。今回は、最近主流のインクジェットプリンターで出力するデジタル拡大ネガではなく、あえて超大判の銀塩フィルムで拡大ネガを作りプリントしました。拡大ネガの制作は田村写真の田村政実氏。結果として、非常に柔らかで繊細な毛皮や肌のディテールを再現できたと思います。

8x10インチの大型カメラで撮影したネガには、コンタクトプリントでは描写しきれない情報がつまっており、より大きなプリントを作ることでこれまで見えていなかった細部を表現することができます。これまでもデジタル拡大ネガからのプリント制作はおこなってきましたが、特に繊細さが要求されるポートレートには銀塩フィルムからの拡大ネガが適しているように思います。フィルム生産が続く限り、アナログ拡大ネガからのプラチナパラジムプリント制作をひとつの柱として取り組んでいこうと思っています。

また、期間中の10月13日におこなわれるトークセッションにも参加します。

May 19, 2012

The London Photograph Fair



You are welcome to visit the LUNN booth at The London Photograph Fair this Sunday, May 20th



Heinrich KühnPortrait, 1911 Photogravure on tissue from Camera Work #33
Image size : 17,7 x 14,3 cm





Kiyoshi Yagi Inughuit Woman in Qulittaq (Caribou Skin parka), Siorapaluk, Greenland, 2009 Handmade platinum print. Edition of 20.
Image size : 24,5 x 19,5 cm


Exhibiting works from : Eugene Atget/Berenice Abbott, Ottomar Anschütz, Bisson Frères, Bill Brandt, Henri Cartier Bresson,
Joseph Breitenbach, Camera Work, Edward S. Curtis, Robert Frank, Hill & Adamson, Emil O. Hoppe,
Robert Howlett, Henri Le Secq, Stephen Livick, Andrew Macpherson, Charles Marville, Nadar,
Achille Quinet, James Robertson, Takeshi Shikama, Sasha Stone, ZD Tmej & Kiyoshi Yagi.

The London Photograph Fair
Sunday, May 20th from 10 am to 4 pm
The Holiday Inn, Bloomsbury Coram Street, London WC1N 1HT
(close to Russell Square tube station)

www.photofair.co.uk

Christophe LUNN

Feb 27, 2012

写真掲載「Arctic Clothing of North America—Alaska, Canada, Greenland」



Arctic Clothing of North America—Alaska, Canada, Greenland に私が撮影したユピック・エスキモーの家族やポートレート、伝統衣装などの写真が掲載されました。


エスキモーが狩猟などで着る毛皮の衣服には、極地の厳しい自然を生き抜くための知恵が凝縮されています。極地文化の衣服を研究する大英博物館の研究者たちによって、材料として使われる野生動物の毛皮の特性や、アラスカからカナダ、グリーンランド各地域に受け継がれている裁縫技術やデザインの詳細などが豊富な写真や図解とともに紹介されています。


Amazon.comでは、商品写真上の "LOOK INSIDE!" をクリックすると、本文の一部を見ることができます。McGill-Queens University 刊(英文)。

Jan 16, 2012

ブックマット作製



作品が海を渡ることになったので、ブックマットに写真をおさめた。
私のプラチナプリントのイメージサイズは8x10インチで、決して大きくはない。それゆえにマットの大きさとのバランスが大切であり、マットを施してようやく作品として完成すると考えている。

初めて個展を開催したときは業者が16x20インチの額飾を扱っていなかったので、40点近くの作品を自分でマットカッターを使って窓抜きもして額飾をしたものだった。そのときの経験で、きれいな直線や直角を出すことがいかに難しいか嫌と言うほどわかったので、いまは窓抜きだけはプロに頼んでいる。

ヒンジの取り付けや作品の固定を久しぶりにやったが、それでも正確な位置決めなどで気が張って相当疲れる作業だと再認識した。でも作業しているあいだに、あっという間に時間が過ぎ去り、これほどモノゴトに集中できたことも久しぶりな気がして、なかなか素晴らしいことだと思った。そう言えば、子供のころに河原でよくスケッチをしていて、あっという間に時間が過ぎ去って行ったのと、まったく同じ感覚だ。

仕上がった作品を送り出すのは、まるで我が子を旅に出すような気持ちだ。Bon Voyage !


Dec 16, 2011

The JPADS Photography Show




ザ・JPADS・フォトグラフィー・ショー クリスマス・フォト・フェア」に作品を出展します。南麻布のインスタイル・フォトグラフィー・センターにて12月20日(火)から 25日(日)まで開催。

Dec 8, 2011

拡大ネガからの大判プラチナプリント


PGI の西丸氏に協力していただき、8x10 のネガからデジタル拡大ネガを起こしてプラチナプリントを制作していただいた(写真手前は撮影者が制作した8x10サイズのプラチナプリント)。8x10 のネガから拡大ネガを作ったのだから当然ではあるが、大きなサイズのプリントにしても瓦礫の砂までもが数えられるほどだし迫力がある。

厳選した作品をこのような大きなプリントにすれば、今後の写真展で展示作品のなかにアクセントをつけることができるだろう。でもそのまえに大きなプラチナプリントを制作できる環境を整えなければ・・。

Oct 5, 2011

La Lettre de la Photographie.com


Kmopa でのトークに来日したクリストフ・ラン氏が、フランスの写真関連サイト La Lettre de la Photographie.com に「グレイト・スピリット展」の記事を寄稿しました(英文)。展覧会の写真も掲載されています。

尚、このサイトは「2011年 LIFE が選ぶ写真ブログ」で1位に選ばれたそうです。


Oct 4, 2011

「グレイト・スピリット展」トーク



さる9月24日、台風一過の秋晴れのなか清里フォトアートミュージアムにて、サルダール=アフカミ氏の代理人クリストフ・ラン氏とトークを行いました。この模様はビデオにも収録され、最終日までミュージアム館内にて放映されているそうです。

グレイト・スピリット展は今月10日まで。各方面の方々から好評をいただいております。開催日数もあとわずかですが、ぜひご来場ください。


Sep 21, 2011

清里フォトアートミュージアム「グレイト・スピリット展」ギャラリートーク


「グレイト・スピリット: カーティス、サルダール=アフカミ、八木清の写真」を開催している清里フォトアートミュージアムで、9月24日(土)14時からギャラリートークをします。

サルダール=アフカミ氏もこの日のために来日し、トークに参加する予定です。どのような話しを聞けるのか、私も今から楽しみです。お誘い合わせのうえ、ぜひご来場ください。詳細はこちら

※ アフカミ氏の来日が急遽キャンセルされたため、トークは代理人のクリストフ・ラン氏と私になりました。

Sep 19, 2011

DAYS JAPAN 10月号


Kmopa にて開催中の「グレイト・スピリット展」に関連し、2011年10月号 DAYS JAPAN誌 の「営みの地球」に写真と文章を掲載しました。 9月20日発売。


Sep 2, 2011

東日本大震災復興支援プロジェクト/写真家のチャリティ


「東日本大震災復興支援プロジェクト/写真家のチャリティ」に作品を出品します。詳細はこちら

Aug 28, 2011

PGI 写真展「sila」終了


27日、フォトギャラリーインターナショナルにて開催していた個展「sila」を終了しました。

今回は真夏の約2ヶ月におよぶ開催でしたが、たくさんの方々にご来場いただきました。会場にて高額で重たい写真集「sila」をお買い上げ頂くこともあり、光栄でした。すべての皆様にお礼を申し上げます。

在廊中にお会いできた方々のなかには、清里フォトアートミュージアム(Kmopa)にて開催中の「グレイトス・ピリット展」にも行かれた方も多く、また、清里にも是非行きたいとのお声をいただくこともありました。

グレイト・スピリット展は10月10日まで開催しています。
9月24日には、私とサルダール=アフカミ氏のトークが Kmopa にて開催されます。私自身も、いまからどのようなトークになるのか楽しみです。