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Feb 27, 2012
写真掲載「Arctic Clothing of North America—Alaska, Canada, Greenland」
Arctic Clothing of North America—Alaska, Canada, Greenland に私が撮影したユピック・エスキモーの家族やポートレート、伝統衣装などの写真が掲載されました。
エスキモーが狩猟などで着る毛皮の衣服には、極地の厳しい自然を生き抜くための知恵が凝縮されています。極地文化の衣服を研究する大英博物館の研究者たちによって、材料として使われる野生動物の毛皮の特性や、アラスカからカナダ、グリーンランド各地域に受け継がれている裁縫技術やデザインの詳細などが豊富な写真や図解とともに紹介されています。
Amazon.comでは、商品写真上の "LOOK INSIDE!" をクリックすると、本文の一部を見ることができます。McGill-Queens University 刊(英文)。
Feb 26, 2012
Complete Inuit shaman life story 1922
映画「Journals of Knud Rasmussen (2006)」から。
20世紀前半、現在のカナダ北極圏イグルリック周辺に実在した Aua という名のイヌイットのシャーマンが、彼の生い立ちと、極限状態においても彼らが頑にタブーを厳守する理由を、この地域を訪れていた探検家のクヌート・ラスムッセンに語る場面。
この映画は第五次チューレ探検がもとになっており、ラスムッセンが記述した報告書にもこの場面のことが克明に記録されている。youtube にアップされているこの場面は、長大な第五次チューレ探検記のなかでも人類普遍のテーマに迫る核心のひとつだと思っていたので、初めてこの映画を見たとき、この場面が再現されていたのはとても嬉しく思った。
第五次チューレ探検の報告書からは、かつてのイヌイット文化の記録という範疇を越えて、生きること(死についても)、写真を撮るということにおいても啓示を与えられた。ただ、映画自体の出来はザッカリアス・クヌック 監督の前作である「Atanarjuat (アタナッジュアッ)」の方が圧倒的に素晴らしかったと思う。「Journals of Knud Rasmussen」は原作を何度も読んでいるためかもしれないが、強烈な雪の照り返しで日焼けした顔や、動物の脂や血で汚れた使い込んだ衣服などが再現されて生活の匂いまで感じられるほどだったら、映像や言葉にもっと凄みが出たのではと思ってしまう。
実際には「アタナッジュアッ」ほど話題にならなかったようだが、現地におても忘れかけられている「大切な何か」を今に再提示するために、カナダとグリーンランドの協力でこのような映画が作られた意義は大きいと思う。カナダバフィン島とグリーンランドはデイビス海峡に隔てられているものの、目と鼻の先だ。にも関わらず、イヌイットたちの交流は意外と少ないように感じる(定期便も皆無)。おなじ言葉を話す者たち同士でもあるのに。だからこそスタッフにとっても、この映画制作は貴重な経験だったに違いない。
Feb 2, 2010
Some mighty words by Najagneq, the Yupik shaman.
Excerpts from Across Arctic America: Narrative of the Fifth Thule Expedition. Conversation between Knud Rasmussen and Najagneq, the Yupik shaman from Nunivak Island, in Nome Alaska in 1924.
* R=Rasmussen. N=Najagneq
N. "Of the body; that which you see; the name, which is inherited from one dead; and then of something more, a mysterious power that we call yutir - to all that lives."
R. "What do you think of the way men live?"
N. "They live brokenly, mingling all things together; weakly, because they cannot do one thing at a time. A great hunter must not be a great lover of women. But no one can help it. Animals are as unfathomable in their nature; and it behooves us who live on them to act with care. But men bolster themselves up with amulets and become solitary in their lack of power. In any village there must be as many different amulets as possible. Uniformity divides the forces; equality makes for worthlessness."
R. "How did you learn all this?"
N. "I have searched in the darkness, being silent in the great lonely stillness of the dark. So I became an angakoq (shaman), through visions and dreams and encounters with flying spirits. In our forefathers' day, the angakoqs were solitary men; but now, they are all priests or doctors, weather prophets or conjurers producing game, or clever merchants, selling their skill for pay. The ancients devoted their lives to maintaining the balance of the universe; to great things, immense, unfathomable things"
R. "Do you believe in any of these powers yourself?"
N. "Yes; a power that we call Sila, which is not to be explained in simple words. A great spirit, supporting the world and the weather and all life on earth, a spirit so mighty that his utterance to mankind is not through common words, but by storm and snow and rain and the fury of the sea; all the forces of nature that men fear. But he has also another way of utterance, by sunlight, and calm of the sea, and little children innocently at play, themselves understanding nothing. Children hear a soft and gentle voice, almost like that of a woman. It comes to them in a mysterious way, but so gently that they are not afraid; they only hear that some danger threatens. And the children mention it as it were casually when they come home, and it is then the business of the angakoq to take such measures as shall guard against the peril. When all is well, Sila sends no message to mankind, but withdraws into his own endless nothingness, apart. So he remains as long as men do not abuse life, but act with reverence towards their daily food."
"No one has seen Sila; his place of being is a mystery, in that he is at once among us and unspeakably far away."
※ Picture from the official record of the Fifth Thule Expedition.
Oct 25, 2009
デンマークの探検家・民族学者クヌート・ラスムッセンについて
「自然は偉大だ。しかし、人間はさらに偉大だ」
『Fra Grønland til Stillehavet(グリーンランドから太平洋へ)』と題された、上下二巻から成るこの分厚い本の最終章は、このような言葉で締めくくられている。
これは、デンマークの探検家で、民族学者でもあったクヌート・ラスムセンが著した本で、一九二五年に出版された。ここには、グリーンランドからカナダ、アラスカ、シベリアにかけて暮らすエスキモーが同じ言葉を話す同じ民族であることを立証するために、一九二一年から一九二四年までの約三年間をかけて犬橇をおもな手段とし、各地のエスキモーを調査した第五次チューレ探検の話が収められている。この探検ではラスムセンが隊長を務め、生物学や考古学などの若き研究者たち五名と、助手のグリーンランドエスキモー六名が参加した。当時の北極圏は地図にさえおこされていない未踏の地が大半であり、カナダ北極圏内陸部を調査していた約一年半は外界との接触が完全に断絶していたため、隊員たちの命は母国デンマークでは絶望視されていたらしい。
モロッコ革で製本された扉をひらき、少々かび臭いページをめくっていく。すると、豊富な白黒写真や、旅で出会ったシャーマンたちの実筆による、ツンドラにさまようという摩訶不思議な精霊たちのスケッチなどとともに、活字たちが長い歳月に色褪せることもなく、生き生きと立ち上がってくる。この古ぼけた本のなかには、有史以前そのままのエスキモーの世界観が、冷静かつ詩的に表現されている。
旅の途上ラスムセンが出会った狩猟民の暮らしは「畏れの信仰」が根底にあった。彼らの自然観や生死感は、死者や動物の霊、そして自然界に対する畏怖の念から生じたものであり、それらからの災いを免れるために、様々な掟(おきて)を定めていた。掟は、まるで彼ら自身の行動や生活を拘束するほど無数に存在していた。しかしそれは、彼らの先祖が生み出した古くから伝わる知恵であり、無条件に従わなければならないものであった。何故ならば「死」以上に、災いがもたらす「苦しみ」というものを、彼らは恐れていたからであり、掟の存在とは、人間が逆らうことも解明することも決してできない、自然界や宇宙の摂理と同質のものでもあった。このような当時のエスキモーの原始的世界観は、白人とエスキモーの混血としてグリーンランドエスキモーの村に生まれ育ったラスムセンの理解さえも超越したものだった。
しかし、冒頭に記した言葉(自然は偉大だ。しかし、人間はさらに偉大だ)に至ったラスムセンの境地とは、いったいどのようなものだったのだろう。彼はほんとうの自然界の厳しさや恐ろしさ、そして、神々しいまでの美しさを、探検家としての比類稀な経験と、彼自身そうであった狩猟民族としての視線をとおして、常人よりもはるかに理解していたはずである。彼がこの長大な探検記の最後を締めくくった言葉が、人間中心の浅薄なる考えや、長旅を終えノスタルジックな気分に浸ってこぼした言葉だとは、私には到底思えない。
ラスムセンがこの旅の終わりをむかえたのは、アラスカであった。 アラスカには、西部に暮らすユピックと、北部に暮らすイニュピアックという二つの異なる言葉を話すエスキモーがいる(イニュピアックはカナダやグリーンランドのエスキモーと同じ民族でもある)。「エスキモー」という名は外来であり、その由来には諸説あるが、ユピックやイニュピアックという彼ら自身の呼称には「真の人々」という意味がある。昔から敵対することの多かったインディアンに比して、自分達をそのように誇り高く呼ぶようになったのか否か、今はもう知る由もない。ラスムセン以降、時代は急速に変化して、彼が見届けた人々の暮らしは大きく変わった。しかし、「真の人々」と自らを誇り高く呼ぶ狩猟民は、人間は大いなるものにより生かされているという、不変の真理に向き合いながら、現在も極北の自然に生きる。
八〇年以上も昔、ラスムセンたちは薄紅に染まる氷海の地平線へむけて、犬橇を走らせていた。それは、人間が抱く深い情念の世界へむけた旅でもあったのだろう。彼が残した言葉の真意とは何であるのか、時を越えて深く問いかけてくる。
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