Mar 29, 2011

泥だらけのアルバム

東北関東大震災のニュースなどをとおして時おり見る、被災地で見つかった泥だらけになった誰の物ともわからぬ記念写真や家族のアルバム。被災者自身が現場に戻って見つけた物もあれば、救助の人たちが見つけた物もある。救助の過程で見つけたアルバムや写真を、被災者にわかるように一カ所に集めていることも報道されていた。ずれにせよ、たとえ見ず知らずの人のものであっても、写真を無下に扱えぬという心情がわき起こるものだ。

「写真」というものが、これほど人の心にとって大切なものだったと、今まで考えも及ばなかった面から悲しいほどに認識させられた。

何年も前に私自身が両親を亡くしてから、確かに写真に対して人が潜在的に抱く「思い」があり、それは「作品」として仕立てられた写真などとはまったく別物であると、何となく感じていはいた。

「作品」と呼ばれる写真の、何と空虚なことか(事実、この場に及んでは何て浅はかに聞こえることか)。でも、時代を超えて語られる写真があることは確かなのだ。そういうものは、「作品」という領域を越えているのかもしれない。そもそも、作品って何だ?

泥だらけのアルバムのほとんどは、決して作品として撮られたものではないだろう。でも、実際にはその変哲もない写真たちは、命や魂に関わる領域のものなのだ。