Jan 12, 2015

写真展 silat naalagaq 〜世界に耳を澄ます〜

1月9日から、東京のフォトギャラリーインターナショナルで「silat naalagaq 〜世界に耳を澄ます」を開催しています。

今回は16 x 20 インチの大判プラチナプリントを中心に、アラスカ、カナダ、グリーンランドで撮影した作品を展示しております。現在、プラチナプリント用の拡大ネガはいわゆる「デジタルネガ」が完全に主流となっており、私自身もデジタルネガを作ってプリントをすることがあります。しかしながら、理想的な拡大ネガを模索するなかで銀塩フィルムの持つ潜在的な情報量、階調の豊富さを再認識し、16 x 20 インチの超大判銀塩フィルムを使った拡大ネガを田村政実氏に依頼し、この数年間大判プリントを集中的に制作してきました。

写真展開催中の1月30日には、私の師でもある水越武先生とのトークを開催予定です。すでに多くの方々から予約を頂いておりますので、こちらで早めの予約をお勧めします。







Silat Naalagaq 
シラ ナーラガ
~世界に耳を澄ます~
 
「シラ ナーラガ」とは、グリーンランド北西部に暮らすイヌイットのあいだで日常的に使われている言葉で、直訳すると「天気が親分だ」という意味である。しかしどうやらこの表現はグリーンランドだけにとどまらず、もっと広域にわたって使われているようだ。カナダ北極圏をまたぐバフィン島を旅したときにも、現地のイヌイットが「Weather is the boss here. (ここでは天気がボスさ)」と言っていたことを思い出す。そのときの会話は英語ではあったが、風変わりな言い回しをするものだと感じていた。極地ではひとたび天気が荒れると、数日間、場合によっては数週間にわたって自然が猛威をふるい、漁や狩猟がおこなえなくなることも珍しくはないのである。

アザラシやセイウチ、鯨類などの海洋動物をおもに獲るイヌイットは、天候、海流、流氷、雪や棚氷などの状態に依存しており、狩猟は自然界との精妙なバランスのうえに成り立っている。気象や天候は、彼らの言葉で「シラ」と言いうが、その語には「外」「空気」「大気」「世界」「知性」「知恵」などの意味もある。さらに古い時代にあっては、天候をつかさどり地球上のあらゆる生命を支えているという「大気の精霊」の名でもあった。平穏な天候と狩猟の成功を切望するイヌイットが、死活をかけて創造し築き上げてきた世界観、宇宙観が、シラという言葉に内包されているといえよう。そして「ナーラガ」という言葉が意味する「親分(boss)」とは「指導者(leader)」、「チーフ(chief)」と同義であり、つまり「傾聴すべき存在者」という意味が包含されている。

極北では有史以前から様々な文化が生滅し、そして融合し、いまでは知る由もない神話の世界が綿々と営まれてきた。人の気配など微塵もないツンドラの原野には、植生に被い尽くされ風景の一部と化した廃墟がいまなお残る。山の斜面に無造作に置かれた岩と岩の影に見え隠れする地衣類が生した骨は、それが原初の墓であることを物語る。ツンドラを吹く風には、はるか遠いむかしにユーラシア大陸からわたってきた人々の軌跡と鼓動が、仄かながらも息吹いているのだ。

旅をとおしてかいま見る生の営みは厳粛であり、普遍の真実に触れているという感触を与えてくれる。しかし、カメラのピントグラスの向こう側に見るのは、麗しい光景だけではなかった。テクノロジズムへの妄信を本源とする急進的な文明の波から、もはや極北の地も免れえないという現実である。家族や共同体という核が急速に変質していくことは、歴史と伝統から紡がれてきた「知恵」が日常のさまざまな場面から追放され、忘却されてゆくことでもある。「生と死」という人間の本来性にかかわる問いは、今日において、宗教や信仰の場においてだけで解決しうるものではなく、まして科学の力をもって解決できるものではない。狩猟を基盤とする生活は、そんな根源的な問いをもっとも身近に体験し共有できる原初の生活形態なのだ。

時として、美しさや儚さ、厳しさという観念さえ超越した様相をあらわす世界に、私は言葉を奪われ、沈黙するしかない。しかし、時代の運命をみつめながらも、極北の風景にいまなお残る歴史と記憶をたどる旅を続けていきたい。その途が未来への展望としてつながり、いまをどう生きるか、そして己の生をまっとうすることの意義へと通じるであろうからだ。
                                                                                                                             
                                                                                                                                        八木 清




旅を続ける八木清

 道東の我が家に、驚くほどの特大リュックを背にした八木清君が訪ねて来たのは199311月だった。星野道夫さんの紹介で、まだアラスカ大学の学生だった彼とは数度の手紙のやり取りがあったが、この時が初対面だった。
 それから彼と行動を共にする旅が始まった。アマゾン源流部など熱帯地方が多かったが、彼の語学力と若い体力には大いに助けられた。品と信を好み、限界まで追求し徹底しないと
気が済まないところなど、性格面でも共通点があり、彼とは今でも同志的な繋がりを強く感じている。
 時とともに社会は移り変わる。理想を追いかけ、それと逆行する動きをすれば、時代と血みどろの格闘をすることになる。

 プラチナプリントの『シラ ナーラガ』を見せて頂き、彼にはその覚悟ができていると私は読んだ。この奇跡のような旅はまだ終わる気配がない。敬意を込め、彼の厳しい旅を温かく見守りたい。   

                                                                                                              水越 武

                                                                                                                   
                P.G.I. 写真展案内 「silat naalagaq 〜世界に耳を澄ます〜」より