Jun 10, 2010

SEIKO PROSPEX FIELD MASTER(プロスペックス・フィールドマスター) メカニカル限定モデル


セイコーウォッチ社の新しい機械式腕時計シリーズ PROSPEX FIELD MASTER (プロスペックス・フィールドマスター) が7月から発売開始されます。それを記念した限定モデル (SBDC015) のデザインアドバイザーとして開発に参加させて頂きました。

プロスペックス・フィールドマスターでは、本格ダイバーズウォッチであるマリーンマスタープロフェッショナルでも使われている外胴プロテクターを採用し、対衝撃性を向上しています。また、ベゼル外縁はプラチナをイメージしたピンクゴールド仕様です。

セイコーウォッチホームページ上で、コラボレーションモデルのコラムページが開設される予定です。7月9日発売。

コラムページはこちら

Jun 8, 2010

ユピックに伝わる話

 あるユピックエスキモーの老婆からイキチンガーク(ircenrraq)という地底に住む小人の話を聞いたことがある。
 まだ彼女が子供のころ、人々は流木などを組んだ骨組みを芝土で被った昔ながらの家に暮らしていた。家の入り口から居間までは、狭く暗い通路でつながっていた。そこはイキチンガークの隠れ家でもあったらしい。
 あるとき、寒い土の家の中で焚く炭が切れてしまい、家の者がその事を嘆くと、「ほら、ここに炭があるよ」と言って、暗い通路から炭が投げてよこされた。またあるときに、家の者が「ヤカンがないな」と言うと「ほら、ヤカンだよ」と言って暗闇からヤカンが投げてよこされたという。いずれもイキチンガークの仕業だったらしい。
 彼女にイキチンガークを見たことがあるのかと聞くと、彼女は首を横に振った。「でもその昔、たくさんの人々がイキチンガークを見ていたのよ」。そう言う彼女の目は真剣そのもので、冗談を装った気配など一切感じられなかった。
 イキチンガークの話は他のユピック・エスキモーの村でも聞いたことがあった。トゥヌナックと言う村では、ツンドラのうえでカヤックをこぐイキチンガークを幼い頃に目撃したというマーサという名の老婆に出会った。
 それは青いパドルを持っていて、カヤックはアザラシの皮で作られていたことを、彼女ははっきりと覚えていた。イキチンガークがパドルを一漕ぎすると、カヤックがスッとツンドラの上を進み、もう一漕ぎすると、もう少し長い距離をスーッと進んだという。しかし、イキチンガークが乗ったカヤックがツンドラに流れる小川に差し掛かったとき、一瞬にしてその姿は消えてしまったらしい。
 彼らの言い伝えによると、その昔、ユピックとイキチンガークは、ともに暮らしていたのだが、あるとき人間の飼い犬がイキチンガークの子供を食い殺してしまい、激怒した親のイキチンガークは小さい身体にも関わらず、子供を殺した犬を引き裂いてしまった。それ以来、イキチンガークは人々の前から姿を消したのだそうだ。
 「その昔、私たちはイキチンガークの存在を信じていた。だから彼らの姿を見ることができたけど、もうそれを信じる人はいなくなってきている」。マーサは最後にこう語った。

※ 写真はマーサ。1995年アラスカのネルソン島 Tununak村にて撮影。
※ ユピックに伝わる半人半獣の面もircenrraqと呼ばれる。

May 23, 2010

bite!magazine

Uploaded on bite!mgazine website.


bite!magazine にて作品が掲載されています。


http://www.bitemagazine.net/2010/05/22/hunters-of-the-far-north/

Feb 2, 2010

Some mighty words by Najagneq, the Yupik shaman.


Excerpts from Across Arctic America: Narrative of the Fifth Thule Expedition. Conversation between Knud Rasmussen and Najagneq, the Yupik shaman from Nunivak Island, in Nome Alaska in 1924.

* R=Rasmussen. N=Najagneq

R. "What does man consist of?"

N. "Of the body; that which you see; the name, which is inherited from one dead; and then of something more, a mysterious power that we call yutir - to all that lives."

R. "What do you think of the way men live?"

N. "They live brokenly, mingling all things together; weakly, because they cannot do one thing at a time. A great hunter must not be a great lover of women. But no one can help it. Animals are as unfathomable in their nature; and it behooves us who live on them to act with care. But men bolster themselves up with amulets and become solitary in their lack of power. In any village there must be as many different amulets as possible. Uniformity divides the forces; equality makes for worthlessness."

R. "How did you learn all this?"

N. "I have searched in the darkness, being silent in the great lonely stillness of the dark. So I became an angakoq (shaman), through visions and dreams and encounters with flying spirits. In our forefathers' day, the angakoqs were solitary men; but now, they are all priests or doctors, weather prophets or conjurers producing game, or clever merchants, selling their skill for pay. The ancients devoted their lives to maintaining the balance of the universe; to great things, immense, unfathomable things"

R. "Do you believe in any of these powers yourself?"

N. "Yes; a power that we call Sila, which is not to be explained in simple words. A great spirit, supporting the world and the weather and all life on earth, a spirit so mighty that his utterance to mankind is not through common words, but by storm and snow and rain and the fury of the sea; all the forces of nature that men fear. But he has also another way of utterance, by sunlight, and calm of the sea, and little children innocently at play, themselves understanding nothing. Children hear a soft and gentle voice, almost like that of a woman. It comes to them in a mysterious way, but so gently that they are not afraid; they only hear that some danger threatens. And the children mention it as it were casually when they come home, and it is then the business of the angakoq to take such measures as shall guard against the peril. When all is well, Sila sends no message to mankind, but withdraws into his own endless nothingness, apart. So he remains as long as men do not abuse life, but act with reverence towards their daily food."
"No one has seen Sila; his place of being is a mystery, in that he is at once among us and unspeakably far away."

※ Picture from the official record of the Fifth Thule Expedition.

Jan 7, 2010

消えゆく言語


アラスカにはエスキモー・アリュート言語を話す民族と、所謂インディアンと呼ばれる民族を合わせると、19の先住民が暮している。すなわち、19種類の異なる言語が存在しているということでもある(方言は除く)。アラスカという限られた地域にこれだけ多くの異なる民族が暮らすのは、アラスカはユーラシア大陸からモンゴロイドが移動してきた際の玄関口だった証でもあると言われている。 しかし現在、アメリカの同化政策によって英語が主流となり、いずれの言語も存命が危ぶまれている。なかでも人口20人たらずのエヤック(Eyak)というインディアンの言葉を話せた最後の人物、マリー・スミス・ジョーンズ(Marie Smith Jones 写真の女性。私が90年代に撮影した)が2008年に亡くなったことで、アラスカの有史において(すなわち1741年ベーリングによってアラスカが『発見』された以降から現在に至る歴史において)最初に消滅したアラスカ先住民の言語となった。

十数年前、私はアラスカのフェアバンクスという町の学生だったが、言語学の授業でエヤックを含めたアラスカ先住民の言語が置かれている現状を知った。その時の教授がマイケル・クラウス博士(Michael E. Krauss)という当時アラスカ先住民言語研究所の所長であり、言語学の分野においても非常に重要な人物だったが、博士はエヤック語のスペシャリストでもあった。彼とマリー・スミス、そしてマリーの姉である故アンナ・ネルソン・ハリー(Anna Nelson Harry)らの努力によって、エヤック語が消えるギリギリの段階で言葉を記録することができた。言葉とは本来、学校で教わって身に付くようなものではなく、親がその言葉で子供を育てることによってはじめて生きた形で受け繋がれていくものだが、その時エヤック語の現状はもはや風前の灯火となっていた。しかし、ヘブライ語がそうであったように、記録をとっておくことで将来再び先住民の言葉が復活するかもしれないという希望を抱いている言語学者がいることは、私にとって驚異的な事実であった。

私は何度かマリーに会って様々な話を聞いたことがあったが(会話は英語)、自分が最後の語り部であることを彼女は非常に重く、悲しく受け止めていた。別れ際にエヤック語で物語を一つ聞かせてもらったが、それは非常に不思議な体験で、まるで時間が止まって逆流しはじめたような感覚に陥ったことを鮮明に覚えている。エスキモーやインディアンの言葉を聞くと、まるで風の音や鳥の鳴き声のような自然界の一部であるように感じるが、それは人間が持つ言葉の美しさを感じる一面でもある。

エヤックの領土は、90年代はじめにエクソンのタンカー座礁による原油流出事故の現場となったプリンス・ウイリアム湾の東に位置しており、周囲はアルーティック、アトナ・インディアン、クリンギット・インディアンといった大きな勢力に取り囲まれている。しかし不思議なことは、地理的にそれだけの異民族に取り囲まれているのに、エヤック語はそれらの言語の影響をあまり受けておらず、むしろ遥か南のアメリカ本土に暮すナバホ・インディアンの言語に近い。長い年月のあいだエヤック語が、周囲の民族の影響を受けずにどうして存続してきたのか、これは現在の言語学者が抱える大きな謎となっている。

ついでだが、アラスカ先住民言語におけるもうひとつの謎は、ハイダとツィムシアン・インディアンの言語(ともにトーテムポールで有名な民族)。この二つの言語は他言語から完全に孤立しており、いったいどこから来た民族であり言語であるのかまったくの謎とされている(ハイダに関してはアサバスカン諸言語、エヤック語、クリンギット語と繋がっていると推測する学者もいるようだが)。

エスキモーの言葉もふくめ、北米先住民の多くの言語はある年齢以上の世代でないと話せなくなってきている。その世代が消えれば、それとともに彼らの言語も消えることになる。言語学では、ひとつの言葉は約1000年経つと相互理解できないほどに自然と変化すると言われているが、人為的に消そうと思えば半世紀ほどの徹底的な沈黙を保てば、驚くほど簡単にできてしまうのだ。

Nov 1, 2009

切れないナイフ


Tissannartooqsuuavik ippisaangitsossuutit
(チッヒャンナットーッホーアビッ イッピヒャーギッチョホーチッ)

ナイフは狩猟をいとなむエスキモーにとって、子供から老人まで日常的に使うとても重要な道具だ。上記の言葉は、グリーンランド北西部の猟師たち(特に男たち)のあいだで使われる表現で、切れないナイフを使っている人をからかう言葉である。

直訳すると、「いつもムスコを勃起させているから、おまえのナイフは切れないんだ」。

つまり、「お前はまだ若いから、ナイフを上手く研げないんだ」、「ナイフを上手に研ぐには経験が必要だ」ということを言い表している。現地の猟師からこの言葉を聞いたとき、なるほどなあと関心して、しつこく聞いて発音をカタカナにまで表して日記に書きとめておいた(その間、彼は笑い転げていたことは言うまでもない)。

どんな文化にも独自の表現があるものだ。グリーンランドではエスキモー語(イニュクティトゥット)は話されているが、アラスカやカナダ西部では年配の人たちしか話せず、若者たちは英語しか理解できなくなってしまった。彼らにも生活や文化に根付いた独特な表現が色々とあったろうに、残念なことだ。

ちなみに、私がグリーンランドでの撮影に持参していた切れが悪いアーミーナイフは安物で、金属の硬度が低くやたら粘りが強くて誰が研いでもお手上げだった。

Oct 25, 2009

デンマークの探検家・民族学者クヌート・ラスムッセンについて


「自然は偉大だ。しかし、人間はさらに偉大だ」

『Fra Grønland til Stillehavet(グリーンランドから太平洋へ)』と題された、上下二巻から成るこの分厚い本の最終章は、このような言葉で締めくくられている。

これは、デンマークの探検家で、民族学者でもあったクヌート・ラスムセンが著した本で、一九二五年に出版された。ここには、グリーンランドからカナダ、アラスカ、シベリアにかけて暮らすエスキモーが同じ言葉を話す同じ民族であることを立証するために、一九二一年から一九二四年までの約三年間をかけて犬橇をおもな手段とし、各地のエスキモーを調査した第五次チューレ探検の話が収められている。この探検ではラスムセンが隊長を務め、生物学や考古学などの若き研究者たち五名と、助手のグリーンランドエスキモー六名が参加した。当時の北極圏は地図にさえおこされていない未踏の地が大半であり、カナダ北極圏内陸部を調査していた約一年半は外界との接触が完全に断絶していたため、隊員たちの命は母国デンマークでは絶望視されていたらしい。

モロッコ革で製本された扉をひらき、少々かび臭いページをめくっていく。すると、豊富な白黒写真や、旅で出会ったシャーマンたちの実筆による、ツンドラにさまようという摩訶不思議な精霊たちのスケッチなどとともに、活字たちが長い歳月に色褪せることもなく、生き生きと立ち上がってくる。この古ぼけた本のなかには、有史以前そのままのエスキモーの世界観が、冷静かつ詩的に表現されている。

旅の途上ラスムセンが出会った狩猟民の暮らしは「畏れの信仰」が根底にあった。彼らの自然観や生死感は、死者や動物の霊、そして自然界に対する畏怖の念から生じたものであり、それらからの災いを免れるために、様々な掟(おきて)を定めていた。掟は、まるで彼ら自身の行動や生活を拘束するほど無数に存在していた。しかしそれは、彼らの先祖が生み出した古くから伝わる知恵であり、無条件に従わなければならないものであった。何故ならば「死」以上に、災いがもたらす「苦しみ」というものを、彼らは恐れていたからであり、掟の存在とは、人間が逆らうことも解明することも決してできない、自然界や宇宙の摂理と同質のものでもあった。このような当時のエスキモーの原始的世界観は、白人とエスキモーの混血としてグリーンランドエスキモーの村に生まれ育ったラスムセンの理解さえも超越したものだった。

しかし、冒頭に記した言葉(自然は偉大だ。しかし、人間はさらに偉大だ)に至ったラスムセンの境地とは、いったいどのようなものだったのだろう。彼はほんとうの自然界の厳しさや恐ろしさ、そして、神々しいまでの美しさを、探検家としての比類稀な経験と、彼自身そうであった狩猟民族としての視線をとおして、常人よりもはるかに理解していたはずである。彼がこの長大な探検記の最後を締めくくった言葉が、人間中心の浅薄なる考えや、長旅を終えノスタルジックな気分に浸ってこぼした言葉だとは、私には到底思えない。

ラスムセンがこの旅の終わりをむかえたのは、アラスカであった。 アラスカには、西部に暮らすユピックと、北部に暮らすイニュピアックという二つの異なる言葉を話すエスキモーがいる(イニュピアックはカナダやグリーンランドのエスキモーと同じ民族でもある)。「エスキモー」という名は外来であり、その由来には諸説あるが、ユピックやイニュピアックという彼ら自身の呼称には「真の人々」という意味がある。昔から敵対することの多かったインディアンに比して、自分達をそのように誇り高く呼ぶようになったのか否か、今はもう知る由もない。ラスムセン以降、時代は急速に変化して、彼が見届けた人々の暮らしは大きく変わった。しかし、「真の人々」と自らを誇り高く呼ぶ狩猟民は、人間は大いなるものにより生かされているという、不変の真理に向き合いながら、現在も極北の自然に生きる。

八〇年以上も昔、ラスムセンたちは薄紅に染まる氷海の地平線へむけて、犬橇を走らせていた。それは、人間が抱く深い情念の世界へむけた旅でもあったのだろう。彼が残した言葉の真意とは何であるのか、時を越えて深く問いかけてくる。