展覧会は、1930年代の東京のスナップからはじまり、作品集『雪国』としてまとめられた1940年代の豪雪地帯の新潟の暮らし、そして日本海側の暮らしを写した『裏日本』、安保闘争、各界の著名人を撮影した『學藝諸家』と続いた。濱谷氏といえば『雪国』と『裏日本』は特に有名で、『裏日本』の初版本は結構な値がしたが私も手元に持っている。
濱谷浩氏といえば、キャパやカルティエ=ブレッソン、『LIFE』誌などで代表されるフォトジャーナリズム全盛期を生きた人だ。同時に、世界中で社会や文化がかなり大きく変化した(失われていった)時代でもあったと思う。
写真展を見ていて、ひとつ気になったことがあった。解説では、安保闘争や当時の政治家たちの決断から人間(日本人)に対して幻滅し、撮影対象を国内外の自然風景へと移していったとあった。氏の風景写真についての文章をしっかりと読んだことがないので、あまり述べることはできないのだが、はたして人間(日本人)に幻滅したからと対象を自然に変えたところで、根本的な問題からは決して自分自身を誤魔化すことはできなかったのではなかろうか?その問題とは、氏自身も人間であり日本人である、という矛盾だ。そんなことは当然、氏もわかっていたことであろうが・・。
1964年に出版された『日本列島』という風景写真集の冒頭には、「人間は いつか 自然を見つめるときがあっていい」という言葉がある。いまの私の解釈では、この言葉からは人間との闘争からの疲弊感のようなものが感じられる。だが、それは他者との闘争であったと同時に、自分との闘争なのだったと思う。”ほんものの仕事” をする写真家にとっては、人間を撮影しようが自然を撮影しようが、結局は政治的イデオロギーなどをはるかに超えた自分との闘争を心の闇のなかに引きずっていくほかないのではないか(私自身、そういった自然写真家たちを知っている)。鋭い感性と洞察力の持ち主というものは、あらゆる世界や自己の矛盾を否応にも察知してしまうからだ。これは創作に関わる一部の者の宿命としか言いようがないことだと思う。
写真展を見ながらそんな想いがして、贅沢な不満ではあるが、できれば濱谷氏のその後の風景写真も展示の流れのなかで見てみたかった。その流れのなかでこそ、氏がどのように自分自身の葛藤を克服あるいは受け入れるようになっていったか(あくまで「葛藤」を持っていたらの話だが・・)、それによって世界観がどのように変化していったのか、また日本人として日本をどのように見つめ返したのかを感じてみたかった。また、もしも人間と自然の関係は決して断ち切ることはできないということを撮影をとおして経験的に悟ったのであれば、それを示すのも写真家としての仕事だと思うのである。そう思うのは、私が高校生の頃に出会った、カナダで国立公園の制定にかんした仕事をされていたある日本人の理学博士の言葉が想起されてくるからだ。
「自然を愛するとは、そこに暮らす人々を愛することでもある」